2009年07月07日

十字架の道行 (ケッペレ巡礼)

再びヴュルツブルクの話に戻ります。

★★★

聖ブルカート教会を訪ねたあと、りりかさんが教えて下さった巡礼教会ケッペレ(1748年より建設)に向かった。
ケッペレは、マリエンベルク要塞の隣の丘の上にある。
丘の麓に「ゲッセマネの祈り」の聖像があった。
(ゲッセマネの祈りについては、こちらの記事へ)
緑のなかに安置された聖像はオリーブ山での光景をリアルに描いているようで、私はとても感動した。
実際のオリーブ山がどんな風景だったのか、私は知らないが・・・。

ゲッセマネの祈り

ゲッセマネの祈り

処刑前夜、苦しみ悶えながら祈るイエスと、杯を差し出す天使。
イエスに「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」 と言われたにも関わらず、眠りこけている弟子たち。

ケッペレへの道(階段)はイエスの死刑宣告から十字架に架けられ、墓に葬られるまでの「十字架の道行」になっており、全部で14の留(りゅう)がある。
ここを登るものは、イエス・キリストの受難を偲び、黙想しながら歩みを進めてゆく。
マリエンベルク要塞への登り降り+マインフランケン博物館で酷使した脚にはなかなか辛い道のりだった。
しかし、だからこそ(通常の)聖堂内での「十字架の道行」よりも深くイエスの受難を辿ることが出来たように思える。

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第4留 イエス、母マリアに出会う
「イエスに向けられた人々のあざけりと憎しみを、マリアも受けます。
神の子の母が今、大罪人の母としてはずかしめにさらされています。
母マリアはわが子の苦難を受けとめ、「おことばどおり、なりますように」と神のみ手にすべてをゆだねました。」

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第7留 イエス、再び倒れる
「イエスを追い立てる群衆の興奮はますます高まり、イエスを激しくののしります。
人はどうしてこんなにも残酷になれるのでしょうか。
むちを振りかざす兵士たちの暴力に耐えられず、イエスは力つきてお倒れになります。」

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第9留 イエス、三度(みたび)倒れる
「ゴルコタの丘はもう目の前ですが、イエスの体には最後の一歩も上り切る力もなく、お倒れになります。
しかし、イエスは今一度立ち上がり、人々の救いを望まれる御父の計画が実現するよう、最後の歩みをお続けになります。」

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第12留 イエス、十字架上で息をひきとる
「昼の12時から暗やみが全地を覆い、三時ごろにイエスは大声で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。
また、かたわらに母マリアと愛する弟子が立っているのを見て、「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です。」「見なさい。あなたの母です。」と仰せになり、最後に、「成し遂げられた」と言って頭を垂れ、息をひきとられました。

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第13留
「大きな出来事の後、あたりは静けさに包まれています。
三人の脚を折るために兵士が来ます。
イエスはすでに死んでおられたので、脚を折らず、槍でイエスの脇腹を突き刺すと、すぐに血と水が流れ出ました。
安息日の準備のときが近づいていたので、アリマタヤのヨセフが急いでイエスの遺体を下ろしました。」

各留の聖像の前のフェンスはイエスの頭に被せられた茨を模っているようだ。
14の留をクリアするとそこに初めて美しい聖堂が現れる。

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内部はバーバリアン・バロックという様式になるのだろうか。
この聖堂のことを思い出すとき、「清浄な」という言葉が思い浮かぶ。
動的な建築様式でありながら、非常に静的で清らかな印象を受けた…矛盾するようだが。
聖堂内部の写真はこちら↓でご覧いただけます。
http://kaeppele.computy.de/geschichte.php

★★★

ところで、裏にも小さな聖堂があるということを、帰国後りりかさんに教えてもらって初めて知ったと思ったのですが、帰り際 相方は私に「裏にもう一個あるけど、そっちは行かんでいいの?」と聞いていたそうです。
私は「トイレが我慢できないから、今回はパス!!!」と答えたらしい!
ぜんっぜん覚えてない…。
ケッペレのトイレ、コイン式だったので…勿体ないと思いケチりました。
火事場の馬鹿力じゃないけれど、丘を下りる私のスピード、尋常じゃありませんでした。
膝も股関節もガッタガッタだったのに。
頭の中はトイレのことだけでしたから…。
小銭のために大事なものを見逃した私でした。

★★★

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2009年07月05日

Street of Dreams ―デジャ・ヴュと夢とルイ・ジャンモ

夜の通り。
通りにはいくつものベッドが並べられている。
男がベッドをひとつひとつ確認している。
Rainbowの名曲 ”Street of Dreams"のプロモーション・ビデオに出てくるワンシーン。
このシーンは、ビデオの後半部分に登場する。


”Street of Dreams"の歌詞はデジャ・ヴュ(既視感)や夢をテーマにしたもの。

I've seen this place before
And you were standing by my side
I've seen your face before tonight
Maybe I just see what I want it to be
I know it's a mystery
Do you remember me on a street of dreams

この場所を以前目にしたことがある
君は僕の傍に立っていた
君の顔を今夜より以前に目にしたことがある
もしかしたら そうであってほしいと願うものを見ているのかもしれない
これはひとつの神秘なんだ
君は覚えているかい、夢のなかの通りにいた僕を?


Rainbow ”Bent Out of Shape" "Street of Dreams"より拙訳

先週 図書館で借りてきたリヨン派の画集を見ていたら、”Street of Dreams"(私の青春の曲!)を思い出して、Youtubeで探した。
デジャ・ヴュを体験したことのある方が、どれほどいらっしゃるかわからない。
私には何度もその経験がある。
記憶が混乱し、頭がどうにかなったんじゃないかとヘンな気分になる。
リヨン派の画家 ルイ・ジャンモの作品を見ていたら、なぜか同じ感覚に襲われた。

それは、これらの絵なのだが。
私の夢の世界に似ている。
私の夢は同じモチーフの繰り返しだったり、追いかけられたりのパターンが多いのだ。
物心ついた頃(2,3歳?)からずっと見続けている夢もある。
ちなみに還暦をとっくに過ぎたうちの母も、未だに子供のころから同じ「怖い夢」を見続けているという。


★邪悪な小道 ルイ・ジャンモ  1850-1854年

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★悪夢 ルイ・ジャンモ  1850年頃

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なお、これら2つの作品は夢の世界について描いたものではない。
たまたま私の見る夢に似ていただけだ。

画集(トレヴィル 「リヨン派画集」)の解説によると、「邪悪な小道」(画集での日本語タイトルは「悪しき小径」)は、「ジャンモを含むカトリック派が当時問題にしていた世俗教育を弾劾する作品」であり、「悪夢」は「『卑しさという平等に基づく教育』の放つ害によって魂が衰弱し、やがて凍りつく世俗教育の殿堂なのだ。少女は失神し、少年は遁走するが、その足下にはさらなる奈落が待ち受けている。」とのこと。

★★★

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ついでに"Can't Let You Go"のビデオも貼っちゃおー!
ジョー・リン・ターナーのメイクが凄い…(笑)


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2009年07月03日

生と死 ―クリムトの「人生の三時期」

人生の三時期

「人生の三時期」
グスタフ・クリムト 1905年

わたしたちひとりひとりの生と死は
他の人々とのかかわりの中にある。
ローマ書14.7参照


考えるべき三つのこと、
すべての人の生と
死は
かけがえのない独自のもの、

生も―そしておそらくいっそうだいじな―
死も
意味をもっている。
両者ともに人々にとって価値あるもの。

それゆえわたしたちは裁いてはならない。
ひとりの人の生や
死のもつ価値を
神ならぬ身のいったいだれに
判断したりできるだろう?

― ウィリアム・ブレオー著 宮沢邦子訳
「弱さのなかの力―偽りない心の祈り」より

★★★

「人生の三時期」は、クリムトの作品のなかでも特に好きなもの。
「生命の輪つなぎ」にいとおしさを感じさせてくれるから。

★★★

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蒸し暑い…
そうだ、蒸しパン作ろう!(なんだそりゃ)
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2009年07月02日

バイエルン国立博物館

リーメンシュナイダー以外で心に残ったものをいくつかご紹介します。

そもそも私がバイエルン国立博物館に行きたいと考えたのは「ミュンヘン美術館」という大型美術本に掲載されていた15世紀初頭のピエタ(ヴェスパービルト)に衝撃を受けたからでした。
初めて目にしたとき、胸が引き裂かれるような気持ちになりました。
このピエタはぜひ生で見たかったのです。
小さなものとばかり思っていましたが、実物はかなり大きなものでした。
うまく写せなかったのですが…↓

ピエタ

聖母

ザルツブルクのゼーオン修道院から買い取られたものだそうです。
傷だらけの死んだわが子を抱く悲痛な聖母の表情。
このスタイルは15世紀初頭にオーストリアで流行した「美しき聖母」というものらしいです。
ヴェスパービルトと呼ばれるのは、晩祷(ヴェスパー)の際にこの像の前で祈りが捧げられたことによります。

悲しみの人

このキリスト像は「悲しみの人」と呼ばれるスタイルでしょうか。
タイトルと制作年をメモするのを失念してしまいました。
「悲しみの人」とは、キリストの受難を総合的に表した聖像。
「悲しみの人」は茨の冠を被り、額からは血の汗を流している。
体は痛々しく傷つき、瞳は悲しみの色を湛え…


death.jpg

こちらもメモするのを忘れてしまいました。
獅子に乗った死。
どういう場所に設置されていたのかは分かりませんが、死の象徴でしょうか。
獅子はキリスト教美術においてキリストの復活や神の力を示しますが(翼のある獅子は福音書記者マルコの象徴)、この場合は冥界や悪魔の象徴としての獅子ではないかと推測します。

★★★

こういった残酷なまでに生生しいヨーロッパ的な肉体の表現は、生理的にダメな方も沢山いらっしゃると思います。
日本人的感覚からすると受け入れがたいような気もしますし。(私は好きですけど…)
キリスト教美術に(キリスト教自体にも)抵抗を感じる方が多くいらっしゃるのは、こういう部分に根っこがあるんじゃないかという気がします。

★★★

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2009年06月30日

Twitter始めました

Twitter始めました。
http://twitter.com/FuShusei
記事を書く余裕のないときの近況報告のつもりで呟きたいと思います。
このブログの右サイドバーに私の呟きが表示されます。
Twitterをすでにやっていらっしゃる方はお気軽にフォローどうぞ。

★★★

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2009年06月25日

美術館員に呼び止められた@レオポルト美術館

ウィーンのレオポルト美術館で彫刻作品を鑑賞していたときのこと。
背後にいた美術館員さんに呼び止められました。
(もしかして作品に触れちゃった!?)と思い、吃驚して振り向くと、
私のほうを指差して一言。

「美しい!!!」

エッ…?アタシノコトカシラ?
…と思ったのは間違いで(そりゃそーだろう)
館員さんが指していたのは、私の首にかけられていた十字架でした。
確かに5センチくらいある存在感たっぷりの十字架ですが、よく見えたなぁ、スタンドカラーの上着を着ていたのに。
というか、日本では館員さんに呼び止められるなんて経験(しかも個人的な用件で 笑)をしたことがなかったので、驚きました。
これがその十字架。

cross_bene.gif

聖ベネディクト十字というものです。
私がモーレツに欲していたところ、acquaさんがプレゼントしてくださいました。
私のお守りです。旅行の時は必ずつけています。
でもフライトの時には外すのでした。
空港の金属探知検査にひっかかるから(笑)

★★★

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梅雨に入ってから体調が悪く、日中は眠り姫と化しています。
夕方になると突然スイッチが入り、ものすごいスピードで家事と仕事をこなすのでした。
一体 どういう仕組みになっているのだろう…自分でも不思議。
今日は久々に朝からずっと起きてます。
朝から2回もパンを作ってしまった(笑)今は豆腐パンと豆パンにハマってます。
このリズムが続くといいなぁ〜。
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2009年06月19日

リーメンシュナイダーを求めてIV(ニュルンベルク・ミュンヘン編)

※博物館・美術館内での作品撮影は許可をいただいております。
フラッシュ禁止のため、ピンボケ写真ばかりです。ゴメンナサイ。


バンベルクの次はニュルンベルクに途中下車し、ゲルマン国立博物館へ。
水曜日の夕方6時からは入場料が無料になる。
ちょうど水曜日でラッキーだった。
全部をサラっと見て回るだけでも5時間はかかると言われている博物館だが、私たちの持ち時間は2時間だけ。
今回は宗教美術に絞って見ることにした。
美術オンチの相方も、私に連れまわされているうちにすっかりリーメンシュナイダーの作品を見分けられるようになっていて、ここでは私より先に作品をみつけた。
それほどリーメンシュナイダーの作品には個性があるということだろう。
印象的なピエタ(マリアがイエスを抱き、マリアを福音書記者聖ヨハネが支えている)があったのだが、またもや撮影に失敗してしまった。


こちらは、そのすぐ横にあった作品。
作品のタイトルや説明がどこにも見当たらなかったのだが、帰国してから作品集で確認したところ、1490年の作ということが分かった。
東方三博士のひとりがイエスに贈りものをしている場面。
「東方三博士の礼拝」の主題では、老年のカスパールが黄金(王としてのキリストへの敬意の表象)、壮年のパルタザールが乳香(キリストの神性の表象)、青年のメルキオールが没薬(死体の保存に使われる…そこからキリストの死の予兆となる)をイエスに贈る。
つまり、贈り物によってイエス・キリストの未来を表しているわけだ。
本来は他に2人の博士が一緒に彫られていたことだろう。
博士のひとりが帽子を足元に置き、うやうやしく幼児イエスの腕を握っている。
イエスはまだ赤ん坊だが、堂々とした佇まいだ…「王」としてのキリスト、受肉した「神の子」キリストが表現されているのだろう。
しかし、聖母マリアの表情はやはりどこか虚ろ。
息子の死の予兆を感じとっているのかもしれない。


作品名をメモするのを忘れてしまったのだが、こちらはおそらくテューリンゲンの聖エリザベート。(違っていたらスミマセン)
テューリンゲンの聖エリザベートは病める者や貧しい者の看病や世話をした聖女で、ドイツでは圧倒的な人気を集めているようだ。
食べ物が入った籠(器?)を持っているという庶民的な(?)スタイルだが、王女らしい凛とした表情と全体に漂う気品が印象的だった。
博物館の解説には「リーメンシュナイダー作と考えられていたが、現在では工房作という見解である。」と書かれていたと記憶している。(うろ覚え〜。違っていたら、これまたスミマセン。)

さて、帰り際に図録を買おうと思ったのだが、肝心のミュージアムショップが見つからない。
館員さんに場所を聞くと、片眉をヒョイと上げて無言で後方を指さした…ミュージアムショップはリノベーション中であった(涙)
あれだけ場所に余裕があるんだから特設スペースを設けて、せめて絵葉書くらい売ってくれればいいのに…という考えは日本的発想か?

★★★

ミュンヘンのホテルに着いたのは夜11時過ぎだった。
頭がズキズキ痛むし、脚も悲鳴を上げていたが、翌日どうしても行きたい場所があった。
バイエルン国立博物館。
ここには私が見たいと切望していた1400年ごろの作者不詳のピエタ(後日紹介します)、そしてリーメンシュナイダーの作品がある。
今回はアルテピナコテークを諦めて、そちらに行く。
シャワー後、脚にはサロンパスを大量に貼り、鎮痛剤を飲んでからすぐに床についた。

バイエルン国立博物館は見事にガラガラで、ほぼ貸切状態であった…。
宗教美術のコレクションが素晴らしく感動の嵐だったのだが、観光客にはちょっと行きにくいロケーションかもしれない。
しかし、ここはミュンヘンに行くなら「超オススメ」の場所。
これまで来なかったことを後悔した。

以下は私がガンガンの頭&ヨチヨチ歩きで見てきた作品の一部。(執念です。)

r_grace.jpg

「恵みの座」 1500年頃の工房作。
父なる神が死せるキリストを抱きかかえている。
一見 聖母が死せるイエスを抱き抱える「ピエタ」と似ているようで、実はまったく似ていない。
おそらくは聖三位一体を示すもので、聖霊を示す鳩が一緒に彫られていたのではないかと思う。
キリストの弓なりに反った体のラインが、キリストの受けた試練の観想へと導く。
「この大祭司(※イエス・キリストのこと)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」(「ヘブライ人への手紙」より)




「シモンの家で食事をするキリスト」 1490年ー1492年の作品。
新約聖書のなかでも、特に美しい場面のひとつ。
ファリサイ人シモンの家でキリストが食事を取っていると、そこに罪の女(娼婦)が香油壺を持って入ってきた。
彼女はイエスの足もとに近寄り、涙でその足を濡らす。
そして彼女の長い髪でイエスの足を拭き、接吻して高価な香油を注いだ。
家は香油の香りでいっぱいになった。
そこにいた何人かは彼女を「なぜこんな無駄遣いをするのか、なぜこの香油を売って貧しい人々に施さなかったのか」と責め、また、罪深い女をするままにさせておくイエスに疑問を持った。
イエスは言った。
「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」 (「マルコによる福音書」より)
伝統的にこの女性は「マグダラの聖マリア」と同一視されてきた。
マグダラのマリアのアトリビュート(エンブレム)が香油壺であるのはこれに由来する。
リーメンシュナイダーがレリーフで表現したこの場面は感動的。
彼女を責める人々、それを静止し、彼女の罪を許すイエス・キリストの手、豊かな髪でイエスの足にそそがれた涙を拭うマグダラのマリア。


「悲しむ婦人たちと福音書記者聖ヨハネ」 1485年以降
十字架を囲むイエスに近しい人々。
聖母を支え十字架を見上げる聖ヨハネ、静かな悲しみの表情を浮かべる婦人たち。
やはり悲しみの表現において、リーメンシュナイダーはその才能を最も発揮する。


「聖セバスティアン」 1490年-1492年
「いかにもリーメンシュナイダー」な聖セバスティアン。
流れるような髪と衣の表現が劇的。
憂いのある表情、肋骨や手や足の筋や浮いた血管までもが、このストイックな―しかし同時にエロティズムを湛えた―美をこの聖像に与えている。


「聖アフラ」 1499年-1500年
この柔和な表情の聖女は、元はアウグスブルクの娼婦であった。
迫害から逃れた司教により回心し、キリスト教徒になったという。
この像には彼女のアトリビュートが彫られてないが、木に括りつけられて火刑に処させる姿が一般的。
目の下の皺が彼女の生きてきた道程を表しているかのようで、心惹かれる。

r_m_maria3.jpg

「マグダラの聖マリア」 1490年-1492年
香油壺を持った美しいマグダラのマリアに見慣れている人にはギョッとする姿かもしれない。(前述の「シモンの家で食事をするキリスト」は同じ祭壇の左翼パネルである。)
全身を彼女の長い髪が覆っている。
この細かい髪の一筋一筋が丁寧に彫られているのだ!
これは「悔悛のマグダラのマリア」を表すスタイルで、半生を苦行のうちに終えた「エジプトのマリア」の姿とよく似ている。
周囲に天使たちが飛んでいることから、サント・ボームの庵で厳しい苦行を続けたマグダラのマリアの被昇天の場面ではないかと思う。
断食と苦行によって研ぎ澄まされた彼女の晩年における高い境地と呼ぶべきものが、その達観した表情に見てとれるような気がする。

★★★

さて、リーメンシュナイダーについては今回で終わり。
日本に帰ってきてからデジカメの写真をPCの画面で見て、愕然とした。
あまりのピンボケっぷりにトホホである。
そんなわけで皆様にはリーメンシュナイダーの魅力がいかほど伝わったかどうか疑問ですが、私の心にはハッキリとその姿が残っています。
ああ、この映像をそのまま皆様にお伝えできるならば!(エスパーじゃなきゃムリ 笑)
ここまでお付き合いいただき、有難うございました。

参考文献:Tilman Riemenschneider und seine Werkstatt

★★★

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2009年06月08日

バンベルクのオバケ ―リーメンシュナイダーを求めてIII(バンベルク編)

※教会内の撮影は、撮影禁止の注意書きがないかどうか確かめ、祈る方々の邪魔にならないよう配慮した上で行なっています。

私の相方はビール・マニアである。
彼がドイツを旅する目的はクラシック音楽とビール…この2つに尽きる。
名高いフランケン・ワインにもまったく興味を示さない彼の頭の中は、バンベルクの燻製ビールのことでいっぱいだった。
マインフランケン博物館でバンベルク大聖堂の皇帝の墓の記述を見つけた時、「しめた!」と思ったに違いない。
これで私はバンベルクでの途中下車に反対することは出来なくなった…彼の思うつぼだ。
いやいや、あの記述をみつけてくれたことに感謝せねばなるまい。
実際にバンベルクを訪れてみて、途中下車が正解だったことを知る。
とても美しい街だ。(なんといっても世界遺産の街だし!)
小雨が降っていたが、それはそれで風情がある。
街についての情報をほとんど持っていなかったので、まずはツーリスト・インフォメーションへ。
地図を手に入れて、すぐに大聖堂へと向かう。
食事時間を含めてたった2時間しか滞在できないのだから急がなければならない。
以下にバンベルクの風景を少し。

小ベニス

小ベニスと呼ばれるあたり。

美しい聖母

美しい聖母の胸像。 

r_b_carmel.jpg

途中、道路工事で大聖堂への道が塞がれており、遠回りの際にカルメル会修道院の横を通った。(立ち寄る時間がない!残念無念。)

大聖堂

大聖堂に着いたときは、もうヘトヘトであった。
入口を入ってすぐのところに教会内部の案内図があり、目的の皇帝(と妃)の墓の位置を確認。
祭壇に向かって一礼してから、墓の彫刻に見入る。
これはなんと丁寧で気品のある仕事だろう!
側面の大天使ミカエルのなんと凛々しいことか。
…ちなみに撮影はことごとく失敗した。
私の安物デジカメでは、墓のまわりに灯されている蝋燭の炎の影響か?どうやってもブレて写ってしまう。
というわけで私の写真ではなく、wikipediaでみつけた写真で見事な大天使ミカエルをご覧いただきましょう。→こちら 
旅の途中で手に入れた解説書で、リーメンシュナイダーが14年もの歳月をかけて彫りあげた皇帝ハインリヒU世とその妻クニクンデの墓であることを知った。

さて、もう一度案内図に戻り、他にチェックすべきところを確認する。
案内図に「リーメンシュナイダー祭壇」の文字を見つけて大喜び。
しかし、私は案内図や地図を読むのが苦手である。
どこだどこだとウロウロ探していると、目の前に真っ青な顔をした相方が現れた。
「ねえ、リーメンシュナイダーの祭壇があるみたいなんだけど、どこだかわかる?」
「ああ、カタコンベの傍で見た。」
「カタコンべ??」
「みんなが降りて行ってるからついて行った。あそこにはなんかいる!背筋がゾーッとした。頭の中もヒヤーッとした。なんかに執り憑かれたのかもしれん。あんたも行って確かめて来い!」
相方は超現実のもの、目に見えないものは一切信じない人である。
そんな彼がこんなことを言うなんてオドロキ以外の何物でもない。
しかし、彼のいうところの地下の「カタコンベ」(実際は何なのか分からない。案内図で確認するのを忘れてしまった。)に降りてみたが、私は何も感じなかった。
たしかに黴くさい匂いはしたが…。
まったくどうしたことやらと思いつつ、カタコンベ?を出た私はリーメンシュナイダー祭壇を見つけた。
ぱっと見は「いかにもリーメンシュナイダー」という印象ではない。
憂いに満ちた聖セバスティアンを見て初めて「あ、やっぱりリーメンシュナイダーかも」と思った。

リーメンシュナイダー祭壇

こちらの祭壇も写真はほぼ全滅。上の1枚が唯一まともに撮れたものだ。
これは中央パネルで、左から聖セバスティアン、世界球と笏杖を持った皇帝(どなたでしょう)、ダルマチカを着た殉教聖人(こちらもアトリビュートからの特定は出来ず。)
日本に帰ってきてから手持ちの資料にこの祭壇についての記述がないか探したが、見つからない。
というわけで、制作年代はおろか、リーメンシュナイダー作なのか、工房作なのか、はたまたリーメンシュナイダーの追従者作なのか未だに分からない。
私自身は工房作という印象を受けたのだが。

食事

大急ぎで教会内を一通りまわって、次は相方が行きたかったという美味しいビールの店に向かった。
私はアルコールを摂取すると目の後ろの血管がひどく痛むようになるので、飲むかどうか迷ったが、結局誘惑に負けてしまった。(そしてこの晩から2日間苦しむはめになった。)
独特の香りとコクがクセになりそうな燻製ビールを飲んだ相方は上機嫌だった。
さきほどの恐怖体験のことはすっかり忘れてしまったようだ。

★★★

帰国後、相方はひどい風邪をひいた。
そして風邪がやっと治ったと思ったら、今度は背中の激痛で充分な睡眠をとることが困難になった。
このところ ブログの更新をしていなかったのは、彼とホスピタルショッピングを続けていたことと、それで私の気分が沈んでいたことからだ。
まだ検査結果が出ていないので、原因も特定できていないし、なんの治療も受けられない状態である。
「やっぱりバンベルクで何かが憑いてきちゃったに違いない!」
2人で冗談のように言っているのだが、確かに、ある意味 彼はバンベルクに執り憑かれていた。
まず、これまで興味を持っていなかったバンベルク交響楽団の来日公演のチケットを購入した。
そして 今度はこう宣言した。
「秋になったらバンベルク交響楽団のブラームス・チクルス(ブラームスの交響曲演奏会)を聴きにバンベルクに行きます。」
「はぁっ!?だってもう日本公演のチケット買ったじゃん!なのにわざわざバンベルクまで聴きに行くの!?」
「行きます。燻製ビールも飲みたいし。それにオバケを帰しに行かんとならんし。」
(オンブ・オバケか!?)
私は皇帝の墓の側面に彫られていた大天使ミカエルを思い出した。
彼は魂を導く。
黒人霊歌の「漕げよマイケル」は、亡くなった人々の魂を導く大天使ミカエルについて歌ったものだという説があると、どこかで読んだことがある。
相方の不調とバンベルクへの拘りが「オバケ」のせいかは不明だが、もし彷徨える魂がここにいるのなら どうかその気の毒な魂を還るべきところに導いて下さい、と私は大天使ミカエルに祈った。

ニュルンベルク&ミュンヘン編に続く。

★★★

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2009年05月28日

母に抱かれるおさな子は  ―リーメンシュナイダーを求めて(ヴュルツブルク編II) 

※教会内の撮影は、撮影禁止の注意書きがないかどうか確かめ、祈る方々の邪魔にならないよう配慮した上で行なっています。

マリエンベルク要塞を降りた後、聖ブルカート教会に向かった。
教会の入り口付近には大勢の若い学生たちがいた。
彼らを掻き分けるようにして教会の内部に入ると、そこは静謐な祈りの空間であった。
私たち2人以外には誰もいない。
リーメンシュナイダーの聖母子像はガラスのケースに収められていた。
美しい彩色が施された聖母子像(1490年)だ。


わが子に触れる聖母のやわらかそうな手。
優しい、しかし、こころなしか寂しそうな表情の聖母。
じっと母をみつめる幼子イエス。
幼子の手や足の指はぷっくりとしていて、本物の赤ん坊のようだ。
そこから左側の祭壇のほうへと目をやると、その前の中空には磔刑像が掛けられている。
あの愛らしい幼子の30数年後の姿。
磔刑像を無言のうちに見つめていたとき、聖堂内の沈黙が破られた。
さきほどの学生たちが教会に次々と入ってくる。
みな一様にプリントと筆記具を手にしていた。
学校の課題で見学に訪れたのだろうか。
私たちは教会を去り、ケッペレに向かうことにした。(ケッペレについては、また後日。)

幾つかの教会を訪れた後、フランツィスカーナ教会に向かった。
入口が見つからない。
きっと反対側に回れば開いている…そう思い、裏手の扉に向かったが、押しても引いても開かない。
すると、通りがかりの女性が「入口はあっちですよ」と教えてくれた。
聖堂とは別の入り口があったのだ。
廊下には小さな聖画やフランシスコ会のブラザーの写真入りカードが売られている。
聖堂内に入ると、すぐにリーメンシュナイダーの手によるピエタが目に入った。




私はこのピエタにショックを受けてしまった。
力なくだらりとした、蒼ざめたイエスの体。
太い茨の冠が被せられた頭からは血が滴り落ちている。
天を仰ぐ聖母の泣きはらした目…左手は心の苦しみを抑えるかのように胸の上あたりに置かれている。
しかし、右手はしっかりと死んだ我が子を支えている。
聖母の衣は愛と犠牲の赤、流された血の赤だ。
リーメンシュナイダーとは何者だろう…このようなピエタを生み出した彫刻家は!
さきほどの無人販売のカード・スタンドからピエタの写真が印刷された聖母への祈り(「苦悩の神の母よ、どうか私たちのために!」)のカードを選び出し、料金箱に小銭を入れた。
誰もいない廊下に、小銭の落ちる音だけが響いていた。

マリア礼拝堂

遅めの昼食は、マックの1Euro カプチーノとマリア礼拝堂の近くの店で買った焼きソーセージ。
マインフランケン博物館で私の背後にいた女性が言っていた「コピーのアダムとエバ」を眺めながら食べる。
彼らは楽園を追放されて、アダムは呪われた土を耕すものとなった。
―お前は顔に汗を流してパンを得る。
 土に返るときまで。
 お前がそこから取られた土に。
 塵にすぎないお前は塵に返る。― (創世記より)
焼きソーセージを挟んだ硬いパンからぽろぽろと落ちる屑を、丸々と太った鳩たちが啄ばんでいく。

マリア礼拝堂の後陣にはリーメンシュナイダー作のコンラート・フォン・シャウムベルクの墓碑のレリーフ(1499-1500年)がある。


この美しい巻き毛の騎士はエルサレムから戻る際に亡くなった従者だという。
はるか昔に亡くなった彼の墓碑の前に、東洋の端っこからやってきた私が佇んでいる…なんと奇妙な。

この日の締めくくりに、聖キリアン大聖堂を訪れた。
リーメンシュナイダーの特徴がはっきりと表れているレリーフは容易に探すことができた。
ルドルフ・フォン・シェレンベルク司教の顔はまるで生きているようであった!
いかめしく、頑固で、威厳のある表情。
なんだかいまにも目がギョロリと動きそう。
生命のない彫像であるはずなのに、なぜかその前で委縮してしまう。
大聖堂の入り口には「ミサ中は歩き回らないこと」、そして「写真撮影は禁止されています」との注意書きがあった。
お願いすれば撮影許可が下りたかもしれないが、聞くべき人も見当たらず、司祭館や事務室がどこにあるかも分からない。
事前に調べておくべきだった…残念だ。
残念といえば、リーメンシュナイダーの聖母子像があるノイミュンスター教会(聖キリアンの殉教地にクリプタがあるらしい)は、2009年半ばまでリノベーション中とのことで入ることができなかった。

あまりに濃い1日で、この日は疲れて(でも、心地よい充足感とともに)ぐっすりと眠ることができた。

バンベルク&ニュルンベルク編に続く。

参考文献:Tilman Riemenschneider und seine Werkstatt

★★★

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2009年05月20日

髪の一房にさえ ―リーメンシュナイダーを求めて(ヴュルツブルク編I) 

※博物館・美術館内での作品撮影は許可をいただいております。
 フラッシュ禁止のため、ピンボケ写真ばかりです。ゴメンナサイ。


ティルマン・リーメンシュナイダー(1460年頃-1531年)の手による彫像は、同時代の彫像とは一線を化した繊細な表情と豊かな内面性を持っている。
豊かに流れる髪の一房にさえ感情がある。
衣の流れ、指の小さな皺にすら現われている憂い。
輪郭だけが彫られた眼からも悲しみの感情があふれている。
よく知られた話であるが、クレクリンゲンの祭壇「聖母被昇天」が19世紀初めに発見されるまで、彼の存在は忘れ去られていたという。
ヴュルツブルクの市長となり、ヴュルツブルクに尽くしてきたリーメンシュナイダーだったが、ドイツ農民戦争の際、農民側についたかどで捕らえられた。
拷問によりその腕や指が砕かれ、二度と彫刻をすることのできない体にされたと聞く。
彼の彫像を見ていると、この悲劇的な逸話がなんとも真実味を帯びてくる。

リーメンシュナイダーの作品は以前から美術書や旅行ガイドで目にしていた。
しかし彼の作品に恋というほどの感情を抱いたのは、図書館で見つけた一冊の本に出ていた「髭のないアダム」に出会ってからだった。
それは2007年の11月末のこと。
それ以来、本物のアダムに会うことが私の小さな夢の一つとなった。


ヴュルツブルクのホテルからの眺めは、まるで一枚の絵葉書のようだった。
リーメンシュナイダーがかつて幽閉されていたというマリエンベルク要塞がよく見える。
私の一番の目的はマリエンベルク内にあるマインフランケン博物館にあるアダムに会うこと。
そしてこの街の教会に安置されているリーメンシュナイダー作の聖像と墓碑を可能な限り見て回ることだった。
ヴュルツブルクに滞在できるのはたった一日半。
教会は夕刻には閉まってしまうので、全部見られるかどうか…。
数日前までひどく痛んでいた脚で要塞まで登るのは容易ではなかったが、脚の不調などどうでもよくなるほど心は燃えていた。
博物館に入るなり「リーメンシュナイダーの作品はどこですか」などと聞いた私に、館員さんは苦笑しているように見えた…きっとこんな質問をする人々が沢山訪れているに違いない。
階段を登ると、すぐにリーメンシュナイダーのコレクションが見つかった。
どの作品も 一目でリーメンシュナイダーの手によるもの(一部工房作)と分かる…なんという強烈な個性!
そして、入口からまっすぐ行ったところにアダム(1492-1493年)がいた。
美術書の写真ではある一定の方向から写されたものしか見れないが、本物を前にすれば様々な角度からその表情をみることができる。
実物のアダムの美しさと憂いを帯びた表情は、私の想像を凌駕していた。
これはなんだろう、私の体へと流れ込んでくる感情は。
このアダムの何がこうも私を惹きつけるのだろう。

アダム

アダム

アダムの横には、その右手に小さな知恵の木の実をしっかりと握ったエバがいた。
脚には彼女を誘惑した蛇が絡みついている。

エバ

アダムとエバに交互に見入っていると、後ろから英語で声を掛けてきた女性がいた。
「そのアダムとエバは本物です。マリア礼拝堂にあるのはコピーなんですよ。」
館員さんかと思ったら、私と同じ鑑賞者であった。
私があまりに夢中になって見ていたから、声を掛けたくなったのだろう。
その部屋には1時間ばかりいただろうか。
コレクションのいくつかを以下にご紹介する。

★「悲しみのマリア」(1505年頃)

悲しみのマリア

十字架に架けられたわが子を見つめる聖母。
この表情はなんとも忘れ難い。

★「悲しみの聖ヨハネ」(1490年頃)

悲しみの聖ヨハネ

こちらも十字架を囲む人々のひとり、聖ヨハネ(使徒)。
口元の表情、合わされた手、衣のドレープ、すべてが悲しんでいる。

★「エッケ・ホモ(この人を見よ)」 (1515年頃・工房作)

エッケ・ホモ

鞭打ちを受け、茨の冠を被せられたイエスをローマ総督ピラトが祭司長と群衆の前に引き出す。
「わたしはこの男に何の罪も見いだせない。」
しかし人々はイエスを激しく訴えた。

★「聖セバスティアン」(1515年頃・工房作)

聖セバスティアン

聖セバスティアンについての詳細はこちら
この浮き上がった手の血管、指の皺、爪の表情!

★★★

時間を持て余していた相方が、私を「ちょいちょい」と呼び、壁にあった解説を指さす。
「ほら、ここにバンベルクの大聖堂にミニチュアシュナウザー(彼はリーメンシュナイダーをこう呼ぶ…)の彫った皇帝の墓があると書いてある。あんたもバンベルクに行きたくなったじゃろ?明日ニュルンベルクに行く前に途中下車するぞ。」
実は彼はバンベルクの燻製ビールを飲みに行きたかったのだった。
私はニュルンベルクでなるべく時間を取りたかったため、バンベルクでの途中下車には反対していたのだが…これではもう行くしかないではないか。
かくして、リーメンシュナイダーを求め歩く旅は始まった。

ヴュルツブルク編IIに続く…。

参考文献:Mainfraenkisches Museum Wuerzburg Riemenschneider Collection

★★★

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旅行疲れか?相方が先週末から喉の痛みを訴えておりました。
インフルエンザかと思いビビりましたけど、ただの風邪でした。
疲れたのも分かるわ・・・後半ほとんど私に付き合わされて(笑)

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2009年05月14日

映画「グラン・トリノ」

グラン・トリノリーメンシュナイダーの話に入る前に、映画「グラン・トリノ」のことを。
飛行機の中で相方はひたらすら数独(SUDOKU)をやり続けていた。
私はというと、どうしても眠ることができず、あきらめて映画を見ることにした。
目が疲れるし、ジェットエンジンの音(?)でセリフが聞き取りづらいので、飛行機の中で映画を見るはあまり好きじゃないのだけど。
大した期待もせず、なんとなく見始めたクリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」に頭も心もガツンとやられた。
会社を辞める半年ほど前から、なんだか迷子のようになっていた私。
3年を過ぎた今も人生の指針がぶれていて、これでいいのだろうか?この先どうしようか?とただ考えるばかりで何もかも手つかずのまま、時間だけが過ぎていく。
そんな私にこの映画はヒントを与えてくれた。

―俺は迷っていた。人生の締めくくり方を。
少年は知らなかった、人生の始め方を。―
この映画のキャッチコピー。

3回も見てしまいました…。
この映画、一生心に残るでしょう。

★★★

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タグ:宝物
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2009年05月13日

帰ってきました

南回り。
自宅からウィーンのホテルまで、きっかり24時間、一睡もできず。
南回りは初めてじゃないんですが。
意外と楽勝だと思っていたのですが。
…正直キツかったです。
カラチ(パキスタン)上空あたりで、飲み物なしでパッサパサの焼肉ライス・バーガーが出た時には、マジで「ここで降ろしてくれ」と思いました(苦笑)
丈夫が取り柄の相方も後半は「ああ、吐きそう」と苦しんでいた。
旅行前にひいた風邪が治ってなかったということも多分にあると思うのですが
…寄る年波には勝てないってやつ?(笑)
旅行中も体調が良くなかったのですけれど、もうほとんど執念だけで聴いた!観た!歩いた!
それだけに、得た感動は大きかった。
最初の一週間はウィーンでマーラーの音楽と世紀末に浸り、後の一週間はドイツでリーメンシュナイダーの作品を訪ね歩く旅(ヴュルツブルク以外は予定外でした)となりました。

syokuji.jpg

健康上の理由で禁酒して、もう4,5年になるのかな?
今回ワインの美味しいところに行くということで、ドクターから少しならOKと飲酒許可をいただきました。
最初はワインの炭酸割りを飲んでも全く大丈夫だったので、調子に乗ってビール→シュナップス(40度くらい?)と進んで行ったら、案の定発作(目の後ろの太い血管が炎症を起こして激痛がする)が出て、2日間苦しむはめに。
ダメですね、もともと大の酒好き・・・それもウィスキーとかアクアビットとか「強い酒をストレートで飲まないと飲んだ気がしない」人でしたから、いったん飲み始めるとブレーキが効かなくなっちゃって。(意志弱すぎ)
あんなになるまで飲んじゃった草○ぎクンの気持ちが分からないでもない。
少しだけ、たしなむ程度だけ飲むってのはできない…だからこそ もう本当に飲むのをやめます。

ところで、某所で酒を頼んだら、ウェイトレスのお姉さん(どう見てもはるかに年下)にコワイ顔で
「アルコールよ?ジュースじゃないのよ?わかってるっ!?」
と言われました。
相方は何も言われなかったのに・・・私、未成年に見えたのでしょうか?
21歳の時 留学していたダブリンのご近所の方々には小学6年生だと思われていましたが、さすがにもう成人(普通のオバサン)に見えるルックスだと思うんですけど。
つうか、ヘアマニキュアが落ちて白髪ボーボー&ヨーロッパの乾燥した空気でお肌シワシワだったのに〜何故(爆)

★★★

インフルエンザのことは、アブダビの空港ロビーで見たTVニュースで知りました。
ウィーンでもドイツでもかなり報道されていたのですが、日に日にニュースでの扱いが小さくなっていきました。
それで、あまり心配していなかったのですけれど。
帰りのフランクフルトの空港で、マスクの東洋人の集団を見掛けました。
日本のツアー客の方々でした。(旅行会社の配布&指導によるものでしょうか?)
空港職員や他の旅行者もマスクをしていなかったので、正直「大袈裟じゃない?」と思っていたのですが、乗り換え地の台北についてビックリ!
職員は勿論、日本人ツアー客、台湾人の個人旅行者も皆マスクをつけている!
中には手袋をしている方々までいらっしゃって、とたんに「私たち大丈夫か?」と不安になりました^^;
日本の母に電話すると「あなた大変よー、問診票とか書かされるから、成田空港から出るのに1時間以上かかるらしいわよ。」とのこと。
飛行機内でも「7日間は朝晩熱をはかってください」なんてアナウンスもあったりして。
実際には成田は15分で出られましたが、電車に乗ったら成田周辺の住民の方で、マスクをつけてる人が結構いらっしゃいました。
ところで、日本では「新型インフルエンザ」と呼んでいるのですね。
ドイツ語でも英語でも「豚インフルエンザ」と呼ばれていましたが。
豚と言わないのは、養豚業者やお肉屋さんへの配慮&食肉への不安を煽らないためなのですかね?
浦島太郎状態で、分かりません…。

★★★

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次回からしばらくリーメンシュナイダーの作品をご紹介します。
たくさん撮影してきました。(撮影OKのとこだけね。)
タグ:
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2009年04月22日

懲りずに行ってきます ―ウィーン&ドイツへ

フィリッポ・リッピ 「聖母子像」(1465年頃)


土曜午後から半月ほど行って参ります。
今回は何といってもウィーンまでのルートが凄いです。
成田―台北―アブダビ―ウィーン。
アブダビってどこよ…アラブ首長国連邦です…。
一体何時間かかるのだろう。
何故こんなルートになったかは、私は知らない。(たぶん安いから 笑)

杖だの車椅子だの言ってましたが、この一週間で嘘のように脚が回復しました。
本人が一番びっくりしています。
なんと5年ぶりに自転車にも乗っちゃったもんね!もう大丈夫!

今回一番楽しみにしているのは、ついに念願のヴュルツブルクに行けること。
ドイツでは個人的に訪ねたい街はたくさんあるのですが、相方が「好きなオーケストラのある街にしか行きたくない!」というので、毎回同じところばかり。
今回は○ップルワールドでヴュルツブルクのホテルの無料宿泊券が当たったおかげで行けるのです。
いとしのリーメンシュナイダーアダムとエバに会える!
一日だけの滞在のため時間が取れるかどうか分からないのですが、もし可能なら以前りりかさんが教えてくださったケッペレにも行きたいと思います。

本日掲載の絵画は、フィリッポ・リッピの「聖母子像」(1465年頃)です。
この精妙な描写の作品に会えるかどうかは、私の体調と運(展示されているか否か)次第。

★★★

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アブダビ・・・
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2009年04月20日

わたしは壊れた器のように ―ブレイクとシュトゥックの磔刑図

わたしの敵は皆、私を嘲り 隣人も激しく嘲ります。
親しい人々はわたしを見て恐れを抱き 外で会えば避けて通ります。
人の心はわたしを死者のように葬り去り、壊れた器と見なします。
ひそかな声が周囲に聞こえ 脅かすものが取り囲んでいます。
人々がわたしに対して陰謀をめぐらし 命を奪おうとたくらんでいます。
―旧約聖書 詩篇31:12-14

本日は、一般的な磔刑図とは違うアングルで描かれた作品を2点ご紹介したいと思います。

★「キリストの衣服を得ようとさいころを振る兵士たち」 ウィリアム・ブレイク 1800年

「キリストの衣服を得ようとさいころを振る兵士たち」 ウィリアム・ブレイク 1800年
兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう。」と話し合った。それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。

―「ヨハネによる福音書」19:23-24
一般的な磔刑図の構図では正面中央がイエス・キリスト、右がイエスに信仰告白をした盗賊、左がイエスを罵った盗賊という描かれ方になる。
ブレイクはその構図を背面から描き、イエスの衣服のことでサイコロを振る兵士たちを中心に据えた。
それによってキリストの十字架上のあがないの重さと人類の罪が強調されている。
磔刑の凄まじい苦しみの背後で、兵士たちの頭の中をいっぱいにしているのは、自分の取り分となるイエスの衣服のことなのである。
なお、引用した「『彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた』という聖書の言葉が実現するためであった。」は、旧約聖書 詩篇 22:18-19「骨が数えられる程になったわたしの体を彼らはさらしものにして眺め わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く」というダビデ王の詩に依る。
このように新約聖書での事象が予め旧約聖書の中にあらわされているという考え方を予型説と呼ぶ。
冒頭に引用した詩篇31:12-14も、旧約聖書のダビデ王の詩も新約聖書のイエスの苦しみの予型といえるだろう。

さて、十字架の向こうには磔刑のキリストを見つめる人々の姿が描かれているが、これをまた別の視点から見てみよう。

★「磔刑」 フランツ・フォン・シュトゥック 1892年

「磔刑」 フランツ・フォン・シュトゥック 1892年
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

―「ヨハネによる福音書」19:25-27
通常、イエスや盗賊たちは十字架に高く架けられるのだが、シュトゥックの作品では彼らは群衆とほぼ同じ高さの十字架に架けられている。
十字架と群衆の距離も近く、十字架上の苦しみ、イエスの母マリアと弟子たちの痛みもダイレクトに伝わってくる。
色彩においては、赤と黒の対比も劇的な効果を与えている。
息子の苦悶に力なく倒れる・・・しかしわが子を父なる神のはからいに委ねる苦悩の聖母を支えるのは、マグダラのマリアと「イエスの最も愛した弟子」使徒(福音書記者)ヨハネだろう。
イエスは十字架上から、ヨハネに母マリアを託した。
そしてマリアはすべてのひとの母となるのである。

★★★

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イースター前にご紹介したかった作品というのはこれらのことでした。
遅くなりましたが〜^^;
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2009年04月16日

辛かった…

シャガールの「ヴァンスの恋人たち


約1か月ぶりのネット復帰。
こんなに長くブログをお休みしたのは初めてです。
沢山コメントをいただいたのに、長いことお返事ができなくてすみませんでした。
少しずつコメント返しをしていきますので、ちょっとお待ち下さいね。

★★★

さて、引越のことですが。
タイトルのとおり、本当に辛かった…。
これから病気自慢をします(笑)
転居日の2週間前から喘息発作に見舞われ、梱包作業が困難に。
発作を起こしているときは体をまっすぐにすることができず、いわゆる「猫背」の姿勢になります。
そして肩全体で息をします。
すると、首から肩甲骨の内側に掛けてバリバリに凝り、夜も寝付けないほどの痛みがやってくるのです。
体はどこかがおかしくなると、ほかの部分でバランスをとろうとするのでしょう、次は下半身が痛むようになりました。
もともと変形性股関節症なのですけれど、普段はさほど意識していないんです。
それが思いきり痛くなって、痛みが左股関節→腿→膝→踵と広がっていき、終いには杖を付いて跛行するように。

梱包を始めた頃、小さな飾棚の置き物を梱包するだけで2時間以上かかり、こんな状態で引越ができるのだろうか?と泣きたくなりました。
そんなとき、実家の母から「具合が悪そうだから、手伝いに行こうか?」という電話が。
いつもの私だったら「もういい大人なんだから、自分のことは自分でする!」と母の親切心を無下に断っていたでしょうけれど、今回は心から「ありがたや〜!すぐに来て〜!」
引越が無事済んだのは、ひとえに母のおかげです・・・もう母に足を向けて寝られません(笑)

喘息のほうは転居後1週間で陰を潜め、一部屋分埋まっていた段ボールは今日で約半分になりました。
私の分は先ほどすべて完了。
段ボール約60箱のうち、3分の2が生活用品ではなく芸術関係(本・CD・DVD・額・置物など)でした。
これでも本の半分はブック○フに売ったんですけど(笑)
我が家はエンゲル係数ならぬ芸術係数の高い家なんだわ・・・と今更ながら気づいたのでありました。
その分、肉も食べないし、もやしばかり食べております。

★★★

こんな落ち着かない状態&未だ杖に頼って歩いていますが、来週末からウィーン&ドイツに行ってきます。
皆さん、呆れてらっしゃるでしょう(苦笑)
昨秋の「マーラー・チクルス」の続きを観にいくのです。
そして昨年末 某所で当選したヴュルツブルクのホテルの無料宿泊券(なんと1泊2万4千円ですよ、奥さん!)の使用期限が迫っているので、ドイツにも行ってきます。
イザとなれば車椅子を借りるし、ええい ままよ!と杖持参で行って参ります!
今回は美術館は無理かな〜。

★★★

掲載写真の額は、初月給で買ったシャガールのポスター「ヴァンスの恋人たち」。
私はこの絵と一緒にお嫁にきたのです。
シャガールは、私が初めて好きになった画家。
相方が壁に釘を打つのが大嫌いなため、 壁に立てかけてある(爆)

★★★

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2009年03月22日

喘息くるしい

なかなかコメントのお返事ができなくてすみません。
もしかしたら、転居後になってしまうかもしれません。
喘息発作で歩行や会話もしんどい状況です。
引越を間近に控えたこの時期になんで!?とも思うけれど、四旬節にはふさわしい過ごし方ができているかもしれない。(と、自分を慰めている。)
タグ:喘息
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2009年03月18日

おしらせと近況

引越作業につき しばらくブログの更新をお休みします。
イースター前に載せたい作品がありますので、余裕があったらタイマーで一回UPするかもしれませんが。
転居日は4/3ですが、プロバイダとの契約は3月末までです。
この時期いろいろな行事がつまっていて、ドタバタな流れになりそうな予感(@_@;)
ネットに戻るのはいつになることでしょう。

★★★

★「あわれみ」 ウィリアム・ブレイク 1795年頃

「あわれみ」 ウィリアム・ブレイク  1795年頃


…死にゆく母親。
その子を掬いあげる 白馬に乗った「あわれみ」…

★★★

昨日は銀行やら保険会社やらカード会社やらの住所変更手続きで一日のほとんどを費やしました。
引越ってこんなに大変だったっけ?と考えて込んでしまいました。
実は、今の家に越してきたときの引越作業に関わる記憶が欠落しています。
仕事で忙しかった相方にかわって ほとんど私一人で作業した筈なのに、全く思い出せません。
このとき 私は父の看病のさなかでした。
引越からほどなくして父が亡くなったのですが、この前後2か月くらいの記憶がまだら状態になっているのです。
母と一日交代で病院で泊まり込む生活が続いていました。
私が家に戻っていた日の早朝に父が亡くなったため、死に目には会えませんでした。

この家での生活は「私の人生に父がいない生活」の始まり。
亡くなってすぐ後に父が夢の中に出てきて、「家に帰りたい」と言いました。
私は泣きながら目を覚ましました。
大切な人を失った時は心理的にそういう夢を見やすいものなんだよ、と複数の人から言われました。
実際、そういうものなんでしょう。
でも、私はどうしても冷たいお墓の下に父の遺骨のすべてを納める決心がつきませんでした。
お坊さん、お墓関係の人、父方の親戚には怒られそうですが(実際怒られました)、自らの手で父の遺骨を実家の分と私の分に分けました。
時には遺骨の入った小さな壺を赤ん坊のように抱いていたこともありました。
そんな私を相方はよく気持ち悪がらずに受け入れてくれていたものだと感謝しています。

それから8年、父に対する気持ちにやっと整理がついて、実家のお墓をリフォーム。
遺骨をすべてお墓に納めてきました。
そして9年になる今、父の命日の前日にこの家を去ろうとしています。
(この日になったのは偶然です。転居先の抽選で決まったのです。)
もう 僕のことにとらわれるのはやめなよ、これからはもっと自分やまわりの生きているひとのことを考えなさい…
そんな父のやさしく深い声が聞こえてくるような気がします。
父はいなかったのに、ずっと父とともにいたこの家。さようなら。

★★★

そんな感じでちょっと忙しい日々を送っているのですが、しばらくナリを潜めていた喘息が復活(笑)
先週金曜夜の低気圧で「ぎぶ!ぎぶ!ギブアーーップ!」と、翌日病院に駆け込みました。
2月末にかかった咽頭炎がまだ治ってなかったらしくて(←気づけよ)、それが発作を誘発したのではないかとのこと。
自分のしゃがれ声が面白くて、平泉成とか森真一とかの物まねばかりしていたのがよくなかったのだろうか?(お馬鹿)
年柄年中 咽頭炎を起こしているので、お医者さんや看護婦さんにちゃんとうがいしろと言われました。
これまで喘息の長期管理薬として「フルタイド(ステロイド)」と「セレベント(気管支拡張剤)」を吸入していたのですが、今度から「アドエア」という薬に変わりました。
アドエアはこの2つの薬が合体した薬だそうで・・・スバラシイ!!
これで吸い忘れや2度吸いもなくなるし、薬代も安くなった。
てっきり新薬かと思ったら、もうだいぶ前から出ている薬らしいじゃないですか!!
なんで今までこの薬にしてくれなかったんだ???病院の策略か?

ヒーヒーケホケホ いいながら、引越作業。
マスクをつけて頑張ります。
では みなさん、しばらく お休みです。 またね〜。

★★★

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今日は「相棒」の今シーズン最終回。
新相棒は及川ミッチーだって!きゃー(嬉)

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2009年03月12日

赤い十字架

★「赤い十字架(フランドル戦争戦没者の墓のアレゴリー)」 
  イヴリン・ド・モーガン 1916年

「赤い十字架(フランドル戦争戦没者の墓のアレゴリー)」 イヴリン・ド・モーガン 1916年


イエス自身が十字架となっている。
戦争によって流れた血、犠牲の血の色を纏ったキリスト。
虹は人類と神の契約の証。

★★★

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今年の花粉、強力。カユイ…。
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2009年02月22日

ちょっとお休みします

3月に入ってから、コメント返し&更新します。
それまでごめんなさいm(__)m
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2009年02月18日

ムンクの「星の夜」 ―こんなにさびしい夜ふけには

★「星の夜」 エドヴァルト・ムンク 1923-24年

「星の夜」 エドヴァルド・ムンク 1923-24年


 こんなにさびしい夜ふけには ベッドの上で
 みなしごたちはひとりぼっち
 こころのなかの声だけに 耳かたむける
 こんなにさびしい夜ふけには きりきりと胸のいたみがいやますようで
 いっそうくるしさがますようで
 ますます さびしくなる みなしごたちは
 こんなとき 母さんや神様がいてくれたらなぁとおもいます

― 「みなしごたちは」
ライナー・マリーア・リルケ 飯吉光夫 訳

★★★

2007年12月、ダメもとで応募した「ムンク展」のチケットが当たった。
黒山の人だかりの向こうに、思いがけず「星の夜」を見つけたときは嬉しかった。
ムンクが統合失調症を克服した1908年以降の作品は、それ以前の作品に比べて精彩を欠いていると批評するむきもあるようだが、私はこの作品が好きである。
さびしい夜ふけ。
しんしんと。
星と雪と空気が無言のうちに啜り泣く。
地面に伸びる人影ひとつ。
この人影はムンク自身か。
心身の混沌から抜け出したムンクも、人間存在の孤独は依然感じていたに違いない。

孤独を表現した作品ではあるが、そこはかとない暖かさとやさしさも感じる。
遠くには家々の灯り。
人は孤独な存在のようであって、その実孤独ではない。
同じ夜々を過ごしている誰かがいるのだから。

★★★

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松山ケン○チに妄想するあまり、コーフンしすぎて眠れない夜もある(笑)
私のさびしい夜のおともは松ケンです(サンバじゃないほう)。
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