★「受胎告知」 カルロ・ドルチ 1653-1655年頃?
「おめでとう、恵まれたかた」
大天使ガブリエルの驚くべき言葉。
少女は恐れ、戸惑ったが、大きな覚悟を持って、天使の言葉を受け入れる。
大いなる存在に全幅の信頼を寄せて。
「受容する」ということを考えるとき
そして、このドルチの聖母マリアを見るとき
私は、私の知っている一人の女性のことを思い浮かべる。
★★★台湾南部の小さな町のはずれ。
玉眞さんがぼうぼうに伸びた草を掻き分けると、小さな十字架が彫られた墓が現れた。
「オトサン、オカサン、チビ ト チビ ノ コドモ ガ カエッテキタヨー。
オトサン ト オカサン ニ アイニキタヨー。」
玉眞さんの言葉を聞いて、母(チビ)と私(チビの子供)は、涙をこらえることができなくなった。
お墓の中で眠っているのは、「郭さんのおじさん」と「郭さんのおばさん」。
玉眞さんは、郭夫妻の息子のお嫁さんだ。
「郭さんのおばさん」が寿命を迎えて天国に旅立ったあと、ほどなくして「郭さんのおじさん」も天に召された。
郭夫妻は、小さな中庭のある家に住んでいた。
その中庭は、私の祖母、私の母、そして私のお気に入りの場所だった。
大通りに面している美容院の店舗を通り抜けると、中庭がある。
そして中庭を横切ったところにある急な勾配の階段を登ると、そこが郭夫妻の部屋だった。
「郭さんのおじさん」は日本留学中に、一人の未亡人に恋をした。
そして、彼女を台湾に連れ帰って、結婚したと聞いている。
彼女が「郭さんのおばさん」だ。
「郭さんのおばさん」は、小さくて細かった。
言葉数はとても少なかった。
そしていつも静かな微笑みを浮かべていた。
彼女の微笑みは、微笑みと呼んでもいいのかどうか迷うほど微妙な「微笑みが消えてしまう寸前」の表情なのだった。
小さな町のご近所で、同じく台湾に嫁いだ日本人である私の祖母にとって、「郭さんのおばさん」は本物の姉のような存在だった。
私の母にとっても、彼女は第二の母で、私にとっては第二の祖母だった。
彼女が纏っていた安寧な空気と、あの不思議な微笑みを思い出す。
ときおり、母はおばさんのことを話す。
「優しい人だったね。人の悪口を言うのも一切聞いたことなかったし。
他人の私たちを家族のように受け入れてくれた。だから私はいつもあの中庭で遊んでいたの。」
そして母は、郭夫妻の愛娘「しーちゃん」のことを話すのだ。
「しーちゃんが海で亡くなるなんてねぇ・・・。」
しーちゃんは、小学校の先生をしていた夫と一緒に遠足に行った。
遠足で行った海で高波に呑まれて、そのまま帰ってこなかった。
しーちゃんが亡くなったとき、母は家族とともに既に日本に移り住んでいたから、おばさんの悲しみの大きさを直接目にしたことはない。
私も母も、台湾に帰った折、おばさんから直接しーちゃんの話を聞いたことはなかった。

お墓参りの帰り、玉眞さんは青い海を指してこう呟いた。
「アソコ ナミ ガ アライ。コドモ モ オトナ モ イナクナッタ。」
その言葉にはしーちゃんの名前は含まれていなかったけれど、きっと しーちゃんもその中の一人なのだろう。
いま思うのは、おばさんのあの不思議な微笑みは、悲しみを受容した微笑みだということだ。
すぐに消えてしまいそうな、口に入れたらすぐに溶けてしまうオブラートのように儚い微笑み。
あの微笑みから私たちが感じていたのは、何故だかわからないが、平安と安寧だった。
大きな愛と悲しみを小さな体に湛えていたひと。
おばさんが亡くなったあと、おじさんは食べ物が喉を通らなくなって、そのまま亡くなったらしい。
あんな女性が傍にいたのだもの。
その喪失感は、とてもとても大きなものだったのだ。
「郭さんのおばさん」は、私が言葉を交わしたことのある人の中で、いちばん聖母マリアに似ている人だった。
★★★
←何か感じていただけましたか。
★★★
カルロ・ドルチの受胎告知は、上野のルーブル展に来ていました。
人ごみ恐怖症の私は、観に行けず・・・
やさしいブログ読者様が、そんな私に図録と絵葉書を買ってきてくださいました(涙)
この場を借りてもう一度、「ありがとうございます!」
写真はお墓参りの帰りに撮ったもの。
ところで、また ついったー始めました。
超おバカなつぶやきでよろしければ
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