2006年12月28日

Tempus Fugit ―移りゆく時 ・ 時のフーガ

皆さまにとって、今年はどんな1年でしたか?
私の2006年は、予想外に強い潮の流れに掴まって、戸惑い悩むことの多い航海ではありましたが、やさしい追い風に助けられ、難破することもなく無事港に辿り着くことが出来た・・・という感じでした。
たまには港に停泊して、ゆっくりするのもいいですね。
今は船自身が船酔いを起こしていますので、暫くはドックでじっくり見ていただくことに致しましょう・・・。

2006年の更新は、本日でラストです。
ブログをお読みいただいた皆さまに、こころより感謝いたします。
どうぞ良い年をお迎えください。

なお、右にも書きましたが、12/29−1/2は不在です。
ノートPCは連れていきませんので、この間の更新はありません。
また新しい年にお会いしましょう。

■本日の絵画
「時の娘たち」 サー・エドワード・バーン=ジョーンズ 1882

時の娘たち

ラファエロ前派を代表する画家 バーン=ジョーンズ。
バーン=ジョーンズが描いた、この愛らしい娘たちは、朝(目覚め)から夜(眠り)へと移りゆく「時」をあらわしています。
左から右へ、視線を移してみてください。
彼女たちのまとう衣の、見事な色の変化に心を奪われることでしょう。
衣の裏地は直前の「時」の色、袖は直後の「時」の色となっているのです。
バーン=ジョーンズは、これを音楽に准えて「フーガ」と呼んだのでした。

色のフーガ。時のフーガ。

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2006年12月27日

1パイントの溜息 〜アイルランドで生ギネスを飲む〜

ベイリーズとギネス年の瀬も押し詰まった今日この頃、皆さま いかがお過ごしですか?
連日の忘年会でアルコール漬けになっておられる方も多いのではないでしょうか。
飲酒によって発作が誘発される慢性病を患っているため、今は殆どお酒を口にしなくなった私ですが、元来は親譲りの酒豪で、ザルを通り越して「ワク」と呼ばれていたほどのお酒好きでした。
そんな私も正体をなくすほど酔っ払ってしまった経験が過去3回だけあります。
今日は海外でやってしまった「ここはどこ?事件」(笑)について書いてみようと思います。(あちこちでネタにしましたので、私から直接聞いたことのある方はスルーしてくださいね^^;)

それは、今から十数年前のこと。
アイルランドの民間伝承について調べていた私は、卒論の取材と語学の勉強を兼ねて、2ヶ月ほどアイルランドに滞在していたことがありました。
実は出発の数ヶ月前から原因不明の胃痛に悩まされ、食事が充分に出来ず 激痩せし、お酒もずっと飲んでいない・・・という状態でした。
胃薬をどっさり抱えて日本を発ったのですが、憧れのアイルランドの空気を吸っているという喜びと、慌しい日常から開放された安堵感からでしょうか、あれほど私を悩ませていた胃痛は嘘のように消えてしまいました。
・・・となると、アイルランドで酒好きが考えることといったらコレしかないでしょう。
パブ巡りして、思う存分飲みまくる\(^o^)/
ビールなら断然ギネス!ウイスキーならジェムソンにタラモア・デュ−♪
チェイサー代わりに(!?)甘ーいベイリーズも飲みたいな・・・!

Pint sighs当時からセコかった私は、まず手始めにダブリンのギネス工場へ行き、タダで美味しい生ギネスをしこたま飲もうと考えました。
今はどうなのか分かりませんが、その頃はお代わりは何杯でもOKでした。
工場に併設されている博物館をひととおり見学した後は、念願の出来立て生ギネスを試飲♪
1パイント(中瓶くらい)のジョッキになみなみ注がれたクリーミーな泡と深みのあるギネスの味わいは最高!でしたが、ハーフパイントも飲まないうちにじわじわと酔いが回ってきたのでした・・・。
頑張って1パイントを飲み干すも、その時点で既に天井ぐるぐる状態
何ヶ月もアルコールを断っていた私は、たった1パイント分のアルコール耐性すら失っていたのです。
泣く泣くお代わりを断念し、今日のところは(・・・って、オイ)一旦引き上げることにしました。

さて、ステイ先に戻るにはシティセンターから14番の2階建てバスに乗らなくてはなりません。
さほど待たないうちに、目的のバスがやってきました。
ふらつく足をなんとか動かしてバスに乗り込んだ途端、猛烈な眠気が!
目をつぶったのはほんの一瞬のはずでした・・・はずでしたが・・・爆睡していたらしく、目を覚ましてふと窓の外を見ると、それは全く見たことのない風景でした。
ここはどこ。。。
びっくりしてバスの中を見渡すと、2階に上るための階段が見当たりません。
私が乗ったのは、2階建てバスではなく、1階建て(?)バスだったのです!
バスには、車内アナウンスや路線図などの案内はなく、降車の合図も頭上にある紐を引いてベルを鳴らすという方式。
慌てて次のバス停で降りましたが、バス停には地名表示はおろか、路線図や時刻表もありません。
そこは静かな住宅街で、通るひとも殆どおらず、やっと現れた2人の地元民にシティセンターに戻るためのバスについて尋ねたところ、2人とも全く違う回答。
仕方がないので次に着たバスに乗り、運転手に事情を話すと、シティセンター直通のバスはないので、途中で何度か乗換えが必要だとのことでした。
乗換えのバスが前方に見えると運転手さんが私を呼んでくれ、慌ててバスを乗り換える・・・ということを私は一体何度繰り返したことでしょうか。
ギネス工場を出たときは、お天道様はまだ空のてっぺんにいましたが、シティセンターに辿りついたときには、すっかり夜になっていました。

私が降りたあのバス停は一体どこだったのでしょう?
犯罪率が低く、親切な人が多いアイルランドですが、もしこれがアイルランドではなく他の場所・・・たとえばニューヨークだったら・・・と思うとちょっと怖くなります。
上の写真は、ギネス工場に展示されていたポスター。
ポスターに書かれている「Pint sighs(パイント・サイズ)」は、ジョッキの「size(サイズ)」に、1パイントのギネスを味わう際に洩らす満足の「sighs(溜息の複数形)」を掛けたダジャレです。
以上、1パイントどころか、10パイント分の溜息をつくことになった私の失敗談でした。
ちなみに、その後懲りずにパブ通いを始めましたが、ベイリーズを1杯だけチビチビやるという、じつに可愛らしい飲み方をしておりました。
皆さまもお酒を飲まれる際は、わたしのような目に遭わないようお気をつけくださいね。(特に海外では・・・^^;)

■本日の本
「アイルランドのパブから―声の文化の現在」 栩木 伸明

アイルランドのパブから―声の文化の現在アイルランドのパブから―声の文化の現在
栩木 伸明

日本放送出版協会 1998-07
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アイルランドにおいては、パブはお酒を飲むためだけの場所ではありません。
詩、伝承、音楽・・・などなど、アイルランドの「声の文化」について詳しく綴られた良書。

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2006年12月24日

エルサレムの虹

エルサレムの虹

これは、学生時代にお世話になったS先生からいただいたエルサレムの写真です。
S先生には、文学を通じて 真摯に人生の悲苦と向き合うことの重みを教えていただきました。

キリスト教においては、「虹」はノアの洪水ののちに神が人間に与えた「赦し」であり、「再生」の象徴でもあります。
クリスマスに際して、この虹を私の大切な友人であるRさんに捧げます。
そして、Rさんからいただいた言葉をブログを見てくださっている皆さまにも贈りたいと思います。

どうか皆さまの上にいつも美しい虹が輝いていますように

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2006年12月21日

ボッティチェリ「神秘の降誕」 ―賛美と熱狂 II

「マニフィカトの聖母」 部分 1483クリスマスが近づくと思い出す、一枚の奇妙な絵がある。
ボッティチェリ晩年の、画家自身の署名が記された唯一の作品である「神秘の降誕」。
「キリスト降誕」と聞いて思い浮かべる、「きよしこの夜」で歌われているような静かな光景 ―例えばラ・トゥールの作品― とは似ても似つかない、奇妙な熱狂を帯びた作品である。
この絵を初めて見たのは、まだ高校生の頃だったと思う。
官能的な「ヴィーナスの誕生」が描かれた表紙に惹かれて購入した新潮美術文庫「ボッティチェルリ」の図版の最終ページに、この「神秘の降誕」は掲載されていた。
ヴィーナスの誕生」、「」、「マニフィカトの聖母」といった、画家の盛期の作品にみられた甘美な官能性、洗練された筆致、調和と均衡のとれた美しい世界は、「神秘の降誕」には、もはや存在していない。
狂気を孕んだその絵は長いあいだ私の心を捉えて離さなかったが、ロンドンのナショナル・ギャラリーにある実物を拝むことができたのは、出会いから十数年を経てからのことであった。
図版には当然この作品のサイズが掲載されていたのだが、その部分はいつも読み飛ばしていたのか、実物に対面したときには、その意外な小ささに驚いた。
縦108.5cm×横75.0cmの小さな世界から溢れだす、異様なまでの賛美と熱狂。
しかし、その登場人物たちの表情には、喜びの片鱗すら見受けられない。
その硬い表情からは、抑圧された苦しみすら感じとれる。
宗教的法悦と無表情とが同居する、矛盾した感情表現。
このアンビバレンスに、私は戦慄を覚えずにはいられない・・・。

■本日の絵画
「神秘の降誕」 サンドロ・ボッティチェリ 1501

神秘の降誕

ローマ皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出された。
ダビデの血筋であるヨセフは、すでに神の精霊により身篭っていた許嫁のマリアを連れ、ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムというダビデの町へと旅立った。

ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布に来るんで飼葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
(ルカによる福音書 2:1−7)

聖母マリアが救い主を産んだのは、窟(いわや)に設えられた厩(うまや)。
イエスが死して葬られ、復活したのもまた窟であった。
窟は母親の子宮であり、いのちの生まれ出ずるところである。
死者を葬る窟は、土の下にある死者の世界へ繋がる道であって、同時に死から再生へと辿る復活の場所でもある。

画面の中央には、イエス・キリストの降誕と死と復活をあらわす窟。
厩の住人である驢馬と牛は、それぞれ異教徒と異邦人である。
ヨセフは救い主の傍らで微睡み、画面全体の均衡を壊すほどに大きく描かれた聖母は跪き、救い主を礼拝している。
画面の右手には、神の御使いにより救い主の降誕を知らされ、礼拝に訪れた2人の羊飼い。
左手には、星の導きによりやってきた東方三博士。
三博士のしめすものは、王への敬意、神性、死の予兆である。
屋根の上には、神と人間の和解をあらわすオリーブの冠を被り、救い主を賛美する3人の天使。
天空には、表情を持たない天使の一群が、救い主の降誕を讃えて輪舞する。
その手に握られたオリーブには、神への賛美がしるされたリボンが巻かれ、
オリーブの根元に結びつけられた王冠は、真の君主たる王 ―王の中の王― を想起させる。
画面下方では、天上の存在である天使と地上の人々が喜びの抱擁をし、6匹の悪魔は地の裂け目へと逃げ込んでいく。

画面の上端には次のような銘文が書かれている。
「私サンドロは1500年(西暦1501年)の末にこの作品を描いた。イタリアの混乱の時代、一つの時代とその半分の時代の後、すなわち聖ヨハネの第11章でいわれる、悪魔が3年半の間解き放たれるという黙示録の第2の災いの時に描いた。そして悪魔は、第12章で述べられているように鎖に繋がれ、この作品のように【地に落とされる】のを見るだろう。」

「東方三博士の礼拝」部分 1478-1479 |画家の自画像であるといわれているメディチ家に愛され、黄金時代のフィレンツェを彩ったボッティチェリ。
のちに怪僧サヴォナローラの厳格で禁欲主義的な思想に心酔し、その作品は神秘的傾向を深めていくことになる。
やがて、ボッティチェリの作品数は激減し、その作風も一変する。
この作品はサヴォナローラ焚刑の3年後に描かれたもの。
硬く神経質な描線、誇張された仕草、均衡を欠いた人体表現、宗教的陶酔感と悲壮感がおりなす不協和音。
「神秘の降誕」は、画家の心をそのまま写し取った世界だったのだろうか。
私にはけして理解しえない世界。
しかし、だからこそ、この作品の持つ深い神秘性は、私の心から消え去ることはない。

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2006年12月17日

ドイツからの手紙

ベルリンのくまさんたちも喜びのバンザイポーズ!悲劇を観たあとの悲劇 in ドレスデン」で書いた「終電が来なくてライプツィヒに帰れなかった事件」について、どうしても腑に落ちなかった相方は、ドイチェバーン(ドイツ鉄道)に問い合わせのメールを送りました。
そして1ヶ月程経った先日、ドイチェバーンより大変誠実なお返事を頂きました!
なんと!無駄になった切符代とドレスデンでのホテル代、全額支払ってくれるそうです!!
「今回の件ではお客様に不快な思いをさせてしまいましたが、ぜひまた私どもをご利用いただけますようお願い申し上げます。(超訳)」とのことでした・・・ので、来年もドイツに行きますよ(笑)。
勿論、国内の移動はすべてドイチェバーンで!←単純
誠実な対応をしてもらったことで相方のトラウマもすっかり消えたようです。←もっと単純

ラララ 大好きドイツ♪
終電が来なくても(なんとかなるさ♪)
インドカレーがしょっぱくても(ビールを飲もう♪)
サッカーファンが怖くても(駅を占拠するのはやめよう♪)
女子トイレにおトイレおじさんがいても(気にするな♪)
ラララ〜♪

本日はハイテンションモードでお送りしております・・・。

■本日の音楽
「ベートーヴェン:交響曲第9番」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 クラウディオ・アバド指揮

ベートーヴェン:交響曲第9番ベートーヴェン:交響曲第9番
アバド(クラウディオ) イーグレン(ジェーン) マイヤー(ヴァルトラウト)

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今晩はベルリン・フィルで第九を聴きたい気分です。

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2006年12月15日

モンセラートの朱い本と黒い聖母 ―賛美と熱狂 I

バルセロナのサグラダ・ファミリア教会について思いを巡らせていたとき、ふと、封も開けぬまま長いことCDラックの奥に仕舞ったままになっていた「The Black Madonna」という古楽のCDのことを思い出しました。
もともと連れ合いが貰ってきたのを私が奪いとったのですが(笑)、その存在自体を完璧に忘れていたのでした。(ゴメンナサイ・・・^^;)
さっそく封を空けて聴いてみる。
そして、何年も放置していたことを激しく後悔した私・・・。

モンセラート修道院このアルバムは、スペイン バルセロナ近郊の岩山にある巡礼地「モンセラート修道院」に伝わる「モンセラートの朱い本」という巡礼歌集の一部と聖母信仰に関する歌曲を収録したものです。(モンセラートの岩山のイメージは、ガウディのサグラダ・ファミリア教会のデザインに投射された。)
熱狂と静謐とが混在する、なんとも不思議な世界。
「土着的な祈りの表現」とでも呼んだら良いのだろうか、アラブ風にもケルト風にも聴こえる変則的なリズム、カルミナ・ブラーナを彷彿とさせる民衆的色彩、舞踏的でありながら時には瞑想的でもあり・・・。
キリスト教という言葉から連想するイメージを持ったまま聴くと、よい意味で裏切られます。

タイトルの「The Black Madonna」は、モンセラート修道院に安置されている「黒い聖母像」を指しています。
「モンセラートの朱い本」に収められた巡礼歌集は、この黒い聖母にささげられたものなのだそうです。
「黒」と「聖母」― 一見結びつかない言葉同士に見えますが、黒い聖母像(文字どおり黒い肌を持った聖母像)は、あるユング派心理学者の調査によると、世界に450体ほどが現存しているのだとか。
これらの黒い聖母のルーツは、キリスト教以前の地母神崇拝(地母神像は黒い肌を持つことがあった)が、いわば土俗的な過程を経てキリスト教に取り込まれたものだと考えられています。
キリスト教以前の古代宗教の多くには、神と対になる女神が存在していました。
しかし、一神教であるキリスト教には女神というポジションは存在するはずもなく・・・民衆たちの抑圧された女神への信仰は、出産、豊饒といった元来女神たちが請け負っていた役割(母性)をイエスの母マリアに引き継がせたのです。(クリスマスがキリスト教と同様に「復活思想」を持つ太陽神ミトラの誕生日《冬至》に由来することからも分かるように、キリスト教は異教を我が身に移植しつづけてきたといえる。これについては、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」にも、主人公ラングドンが詳しく解説する場面がある。)
マリアは純潔を保ったままイエス・キリストを身篭った「処女なる御母」であり、「性」を意識させる地母神のイメージとは切り離されていることから、そこに異教の女神崇拝を受容した一神教のジレンマはうまく解消されていると考えられます。
黒い聖母は、抑圧されたかつての地母神の面影を残す、聖母マリアのもうひとつの人格と呼んでもいいかもしれません。

あー、行ってみたい。バルセロナ。

■本日の音楽
The Black Madonna
Pilgrim Songs from the Monastery of Montserrat (1400-1420)
アンサンブル・ユニコーン ミヒャエル・ポッシュ指揮

The Black MadonnaThe Black Madonna
Alfonso X (el Sabio) Llibre Vermell de Montserrat Anonymous Trouveres Anonymous

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上述のとおりです。
Amazonで試聴ができます。(いいところで切れるけど・・・^^;)

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2006年12月11日

Google Earthで千里眼になる

ケルン大聖堂とGoogle Earthのキャプチャ画像子供の頃から地図帳を眺めては空想旅行に耽るのが大好きだったのだけれど、近頃は地図帳を放り投げ、Google Earthで世界旅行を楽しんでいます。
Google Earthは、衛星写真や航空写真を利用した地図検索サービスのひとつで、会社や昔住んでいた家をはじめ、旅行の際に使った電話ボックスや公衆トイレ(笑)、世界遺産(ナスカの地上絵とかピラミッドとかね!)などなど、自宅に居ながらにして瞬時に行きたい場所にワープすることが出来るという、大変画期的なシロモノです。
(楽しい使い方は、こちらのサイトに分かりやすい説明が出てますので、ご参考にどうぞ。)
文字通り鳥瞰的に目的の場所を眺められるわけなんですが・・・いや、鳥以上かな・・・宇宙から目的地にどんどんズームしていく感覚にはワクワクドキドキします。
ある地点から別の地点まで、うぃーーーーんと移動していくのがとても楽しい。
スウェーデンの神秘家 スウェーデンボルグは300マイル(約480キロ)離れた場所からストックホルムの大火を透視したという千里眼の持ち主だったそうですが、(真偽のほどは別にして)きっとこんなふうに見えていたのかな?・・・なんて想像も膨らみます。

私は教会建築が大好きなので、Google Earthでは主に教会・大聖堂を見に行くことが多いです。
写真や実物を下(または横)から見たときには分からない構造も上から眺めることでよく分かりますし、何より天へとのびる巨大な建造物がちっこくミニチュアみたいに見えるのが可愛くて好き。
ちっちゃいのにちゃんとケルン大聖堂だよ!とか(笑)←当たり前でしょ・・・写真なんだから^^;

■本日の本
「大聖堂」 ケン・フォレット

大聖堂 (上)大聖堂 (上)
ケン・フォレット 矢野 浩三郎

ソフトバンク クリエイティブ 2005-12-17
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12世紀のイングランドを舞台にした、大聖堂建立を巡る人間模様。
ミステリー小説でもあり、歴史小説でもあり・・・ここ10年ほどで最も夢中になって読んだ作品。
中世、修道院、石工・・・といったキーワードに食指が動くかたには大変おすすめ!
エリス・ピーターズの「修道士カドフェル」シリーズ青池保子の「修道士ファルコ」がお好きなかたなら間違いなく寝不足になる作品です。

「図説 大聖堂物語―ゴシックの建築と美術」 佐藤 達生 木俣 元一

図説 大聖堂物語―ゴシックの建築と美術図説 大聖堂物語―ゴシックの建築と美術
佐藤 達生 木俣 元一

河出書房新社 2000-07
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大聖堂に足を踏み入れたときに抱く、感嘆、畏怖といった気持ちに能書きはいらないのかもしれない・・・けれど、建築、ステンドグラス、彫刻・・・そのひとつひとつに意味されたものが見えたとき、その感動はより貴重な体験として生きてくる。
図版が豊富で親しみやすいゴシック建築ガイド。

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2006年12月07日

まどろみのなかにみえるのは 〜ヴィヴァルディとブレイク〜

ヴィヴァルディの肖像「あなたにとって至福のときとは?」
そんな質問をされたら、今の季節なら迷わず「炬燵でうとうとしながらバロック音楽を聴いているとき」と答えると思います。
炬燵に入る際に掛けるのは、主にモンテヴェルディ、 A・スカルラッティ、ヴィヴァルディ、ペルゴレージといったイタリアの作曲家たち。
なかでもヴィヴァルディの宗教声楽曲がいい。
私の場合 炬燵の必需品といえば「みかんと猫」ではなく、ヴィヴァルディなのです。
炬燵でまどろんでいるときの恍惚感―まるでゆっくりと天に引き上げられるような、じわじわとやって来る陶酔感―は、ヴィヴァルディの音楽によって呼び起こされる感覚に極めて近い。
私は眼を開けたまま夢をみているような人間であるが(アブナイひとではないんで(笑)、さすがに仕事中は切り替えてますよ…)、炬燵でのまどろみのなかで思い浮かべるのは、バロック建築の天空を模した天井に描かれた、小さな天使たちが乱舞するような光景ではなく、ウイリアム・ブレイクの水彩画や彩色版画に描かれた深遠なるヴィジョン…。

「ヤコブの梯子」 ウイリアム・ブレイク 1805ヴィヴァルディのなかでも特に魅かれるのは、「ニシ・ドミヌス」 (Nisi Dominus:主が家を建てられるのでなければ 【詩篇126(※)都に上る歌 ソロモンの詩】)。
意識して集めたわけではないのだけど、気が付いてみるとこの曲のCDを何枚も持っていたりします。
せっかくなので(?)、よく聴くものをあらためて比較してみたいと思います。

★アンドレアス・ショル(カウンターテナー)
オーストラリア・ブランデンブルク・オーケストラ
第1曲の疾走感は、翼のついたサンダルで軽々と空を飛ぶヘルメスのよう。
(なんだか宗教曲には相応しくない表現ですけど^^;)
全体的に緩急のつけ方が巧みで、実にスリリング。
瑕疵のない、ショルの完璧な歌声には参りました。

★テレサ・ベルガンサ(メゾソプラノ)
イングリッシュ・チェンバー・オーケストラ
ベルガンサの卓越した歌唱技術が生んだ威厳と気品に圧倒される。
正座して聴かなくては!…という気にさせる演奏です。炬燵の中ですが…。

★ヨッヘン・コヴァルスキ(カウンターテナー)
コンセルトヘボウ・チェンバー・オーケストラ
平安、安寧…そんな言葉が浮かぶコヴァルスキの伸びやかで安定した歌声。
オーソドックスな演奏で安心感があります。
これを聴いているときはα波がガンガン出ているのが自分でもよく分かります。

★ヴィヤチェスラフ・カガン-パレイ(スラヴァ)(カウンターテナー)
'ヴィヴァルディ' チェンバー・オーケストラ
この抗いがたい魅力…。
スラヴァは巧い歌手ではないと思いますが、この稀有な声質は神秘的で、時には蠢惑的でさえあります。
彼の深い声はこの曲との相性がいいようです。

そしてまた、炬燵のなかの法悦を求めてうたた寝し、今年5度目の風邪をひきました。
※詩篇126という番号は、聖ヒエロニムスによってラテン語に翻訳された「ウルガタ版(普及版)聖書」での番号であって、「新共同約聖書」では127にあたる。

■本日の音楽
「ヴィヴァルディ:ニシ・ドミヌス RV608 」
アンドレアス・ショル オーストラリア・ブランデンブルク・オーケストラ

ヴィヴァルディ/ニシ・ドミヌス RV608ヴィヴァルディ/ニシ・ドミヌス RV608
ショル(アンドレアス) ダイヤー(ポール) オーストラリア・ブランデンブルク管弦楽団

ユニバーサルクラシック 2000-11-22
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上述の通り。棺に入れてほしいと思う一枚。

■本日の絵画
「天使たちに守られる墓のなかのキリスト」 ウイリアム・ブレイク 1805


十字架上で人間の罪を贖い、墓に納められた「死せるキリスト」。
磔刑の3日後に、死に対する勝利たる「復活」を迎えるが、今はまだその時ではない。

マリア(マグダラのマリア)は墓の外に立って泣いていた。
泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあったところに、白い衣を着た二人の天使が見えた。
一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
(ヨハネによる福音書 20:11-12)

ブレイクはロンドン生まれの幻視家。画家にして詩人。
幼少の頃から強い幻視力を示し、神の姿や木に天使が群れているさまを視たといいます。
その独特の芸術は、ほかの誰のそれにも似ていません。
彼の作品は、ラファエロ前派や、大江健三郎、アン・ライス、トマス・ハリスといった作家たちにインスピレーションを与えていますので、親しみを持っておられるかたも多いでしょう。

ブレイクは、キリストを守る2人の天使のイメージを旧約聖書の「出エジプト記」における記述から導き出しました。
それはシナイ山で神が預言者モーセに命じたことのひとつで「金で二つのケルビム(智天使)を作り、互いに向かい合って恵みの座を見下ろし、翼が金の蓋を覆うようにしなければならない。」…という部分です。(※)
前述の「ヨハネによる福音書」のイメージと重なりますね。
シナイ山での神との契約(旧い契約)と、人間の罪を贖い 死して復活したイエスにより成立したキリスト教(新しい契約)の、予型論的な呼応をこの作品に示したのです。
予型論とは、新約聖書での事象が予め旧約聖書の中にあらわされているという考え方をいいます。

亜麻布を巻かれ横たわるキリストの上に天使がシンメトリーに配置され、三位一体(「その視線の先は・・・」の※2)を想起させる三角形をかたちづくっています。
また、三角形の底辺を「地上」、頂点を「天上」とする捉え方もあるでしょう。
こうした構成に加え、無彩色に近いほどに淡く抑えられた色調と穏やかな光の表現が、その神秘性を高める清澄とした静けさをこの作品に与えています。
劇的な「復活」へと導く、静邃なる前奏曲。

※出エジプト記 25:18-20
ヘブライ人への手紙 9:5、列王記I 6:23-28にも同様の記述がある。

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2006年12月01日

ほどけるショパン、からまるショパン

「貴女がショパンを口にするなんて100万年早くてよっっ!!」 というCMですっかりお馴染みになった明治のチョコレート「ショパン」。
最近は何故かショパンと呼ばれている稲垣吾郎ちゃんが出てきて、ますます訳が分からなくなってきました。
今まで食べたことがなかったのですが、先日スーパーで安くなっているのを見掛け、「ほどけるいちご」と「からまるカカオ」の両方 買ってみました。
パッケージの色合いが美しいですね。(…綴りは"CHOPIN"じゃないのね。)
写真を撮って、ちょっと絵画風に加工してみたりして。ヒマ人。

確かに、甘酸っぱくて色合いも可愛らしい「いちご」は「松本莉緒」ちゃん、ほろ苦い大人の味の「カカオ」は「夏木マリ」さんという感じがします。
そしてどちらも食べる私は稲垣吾郎かしら、フフ…。(ちょっと大人の発言過ぎました?すいません(ToT))
両方とも美味しいけど、コーヒーでもチョコレートでも苦めが好きな私は「カカオ」に軍配を上げるかな。
皆さんはどちらがお好きでしょうか?

それにしても面白い、あのCM
昔のグランドロマン系昼ドラ(「愛の嵐」とか「華の嵐」とか…古っ!)や70年代の少女漫画を彷彿とさせる大仰な感じがなんともアホらしくていいです。←注:褒めてます。
キャストもベタベタでいいですねー。
明治製菓のホームページによると吾郎ちゃんは執事だったらしい。
ああ、続きが気になる…。
ところで「ベタ」といえば、ドラマに出てくる「ベタなお嬢様」って必ずショパンを弾いていませんか?
しかも殆どの確率で「幻想即興曲」を弾いてる気がします。
あれは一体どういう刷り込みでそうなったのだろうか…。

■本日の音楽
「ショパン:ピアノ名曲集」 ダン・タイ・ソン

ショパン:ピアノ名曲集
ダン・タイ・ソン(p) ショパン

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澄んだ水のような透明感。
ショパン国際ピアノコンクール東洋人初の優勝者ダン・タイ・ソンによる、端整で瑞々しいショパン。

「ショパン:名演集」 エフゲニー・キーシン

ショパン:名演集ショパン:名演集
キーシン(エフゲニー) ショパン

BMG JAPAN 1999-11-20
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おすすめ平均

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深い精神性と正確無比なテクニックに支えられた、耀かしいショパン。
一音一音が磨き上げられた水晶のように煌めいています。

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タグ:クラシック
posted by Fu Shusei | Comment(7) | TrackBack(1) | 芸術的呟き