2008年10月07日

聖セバスティアン ― 一本の杙に彼を縛り付け

聖セバスティアンは、画家たちが美青年の裸体を堂々と描くための格好の手段とされてきた聖人かもしれない。
私には三枚のいとしい聖セバスティアンの絵画がある。
一枚はイル・ソドマ、ほかの二枚はギュスターブ・モローの作品である。

★「聖セバスティアンの殉教」 イル・ソドマ 1525年

「聖セバスティアンの殉教」 イル・ソドマ 1525年

聖セバスティアンといえばこの作品というくらい有名な作品である。
矢に射られたセバスティアンが空を見上げると、そこには彼を殉教者に叙するために現れた天使。
軍人らしく鍛えられえたその体躯が発するエロティシズム。
その表情は無垢でいて、同時に甘美さも感じさせる。
キリストに殉ずるということは、彼にとっては法悦―神に触れる究極のよろこび―を齎すものなのだ。

そこでディオクレチアヌス帝は野中の一本の杙に彼を縛り付け、兵卒に弓で射るように命じました。兵卒たちは彼をめがけてたくさんの矢を浴びせたので、彼はハリネズミのようになりました。彼らはセバスチァンが死んだと思って、そこから立ち去りました。
数日後、彼は無傷の無事な姿で、皇帝の宮殿のまえにある階段に立ちました。そして皇帝たちが現れると、彼らがキリスト教徒に加えた苦しみのために怒気するどく彼らを非難したのです。これを見て両皇帝は「先日矢で射殺させたセバスチァンではないのか」と叫び声をあげました。セバスチァンは「私があなた方のもとに参って、あなた方がキリストの僕(しもべ)たちに加えた苦しみを非難するように、主が私を死から甦らせてくれたのです。」と答えました。皇帝は今度は棍棒でさんざん打たせたので、彼は昇天しました。皇帝は彼の屍を糞つぼのなかに投げ込ませました。それはキリスト教徒が殉教徒として、彼を崇拝しないようにとの魂胆からです。
―「黄金伝説 抄」 ヤコブス・ア・ウォラギネ著 藤代幸一訳より引用

モローの二作品のうち、一枚はこのブログの右に常に掲げている。
全体像はこちら↓

★「聖セバスティアン」 年代不明 ギュスターブ・モロー

「聖セバスティアン」 年代不明 ギュスターブ・モロー

軍隊は彼を放置し、去っていく。
一人の射手だけが、とどめの一矢を射ようと弓を引いている。
彼の美しい体は硬直し、額からは血が滴る。
その瞳は苦痛さえ神に捧げようとするセバスティアンの意思をよく映し出している。
これは鑑賞者の体をも硬直させる作品ではなかろうか。
あたかも、我々もこの瞬間に立ち会っているかのように。

モローは「瞬間を切り取る」のが巧みな画家である。
たとえば、オイディプスとスピンクスが見つめ合う瞬間。
サロメが宙に浮く洗礼者聖ヨハネの首を指し示す瞬間。
この作品もそう。
私たちはセバスティアンと同じ「時」と「痛み」を共有する。
しかし、この痛みはやはり甘美なエロティシズムを伴っている。
モローの手にかかると聖人もこのとおり。
この瞬間、我々にとって彼は間違いなくオム・ファタル…運命の男…なのである。

そして、もっとも愛する作品はこれ↓


★「聖セバスティアン」 ギュスターブ・モロー 1876年頃

「聖セバスティアン」 ギュスターブ・モロー 1876年頃

見事な画面構成と色彩の配置に圧倒される。
宙に浮く十字架から滴る血が、セバスティアンを赤く染める。
セバスティアンに囁きかける天使の大きな翼、そして彼の体を貫く矢の色も血の赤である。
木に括りつけられた彼の右手は神を賛美するがごとく天を射し、その木の枝からは若葉が芽吹いている。
天使の囁きに全神経を集中し耳を傾けるセバスティアンの眼光の鋭さはどうだ。
信仰に殉ずるこのセバスティアンは、ストイックな美しさに輝いている。

★★★

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セバスティアンより、セバスティアノ、もしくはセバスティアヌスという呼び名が一般的かも。
でもSeesaaブログのコメント欄で、セバスティアヌスのラスト3文字がNGワードとして認識されて(泣)コメントが入力されないということが以前あったのでした。
posted by Fu Shusei | Comment(12) | TrackBack(0) | 芸術的呟き
この記事へのコメント
いつも不思議に思うんだけど
この時代貧しくて(って多分)今より栄養が悪くて
しかも危機に瀕していてっていう状況なのに
その絵がいつもいつも(いつも)すごく肉感的なんだよね
それがすごく「生」を感じさせるんだよね
ナンダロウ
どちらかというと私(無知)には神話のというか
架空の存在でどこか違う空のお話なのに
絵を見るといつもいつもすごく現実感を伴う
現実よりも現実らしい肉体を持っている感じ
そのリアリティが不自然でそして、それだからこそ強く訴えてくるものなの
天皇の御真影はほら、人間でないことの証拠に写真を使わずに、写真をちょっとぼかして
絵みたいにしたわけだけど
その逆の感じ
聖人なのに人間みたい?な
書いてること通じるでしょうか
それがすごく訴えてくるのです
痛みとかいろいろ。
Posted by メロ at 2008年10月07日
★メロちゃん★

>聖人なのに人間みたい?な
書いてること通じるでしょうか
それがすごく訴えてくるのです
痛みとかいろいろ。

その認識でバッチグーざます。
聖人って、神様でも想像上の人物でもなくて(伝説には「事実」とは異なる部分もあると思うけど)、もとは実在していた生身の人たちだから。
(実在性が疑わしい人たち(=伝説上の人物)は近年聖人リストから外されています。)
簡単に言うと、聖人は、亡くなったあと確実にすぐ天の国に迎えられたであろうと思われる人たちです。
意外かもしれないけど、日本人にもたくさん聖人がいます。ちょんまげの時代に殉教した人たち。
「ザビエルはげ」でおなじみの(笑)フランシスコ・ザビエルも聖人です。
マザー・テレサはご存知ですよね〜。彼女は今 「福者」っていう「聖人」の一段階前に列されていて、何十年後か何百年後か分らないけど、調査の後 聖人の条件を満たしていると認定されたら、きっと「聖人」になると思う。
・・・えーとつまり何が言いたかったかというと、彼らはもともと生身の人たちだから、われわれと同じ痛みや苦しみを知っていたわけで、特に殉教した聖人たちは迫害や拷問に耐え、死んでいったってこと。
画家たちは、彼らの「生きざま」を絵として再現している。メロちゃんが絵を見て、痛みとか苦しみとかいろいろ訴えてきてるなーと感じているならば、画家たちの仕事は成功した仕事だったと言えますね。
天皇の御真影は、ただの人間をムリヤリ神格化しているわけだから、嘘っぽいのかもしれない。

>しかも危機に瀕していてっていう状況なのに
その絵がいつもいつも(いつも)すごく肉感的なんだよね
それがすごく「生」を感じさせるんだよね

ルネサンスがあったからだと思います。
人間性への回帰。
肉体を否定していた中世が終わりを告げ、「生のよろこび」が体の描き方にも変化を与えたのではないかと(たぶん)
Posted by Fu Shusei at 2008年10月07日
なるほど!!
すごい!!
(愛)
Posted by メロ at 2008年10月07日
たぶん、たぶんね!
けっこう口から出まかせだから(笑)
そこんとこ夜露死苦!
Posted by Fu Shusei at 2008年10月07日
いたい...

聖人には死後50年って決まりがあるらしいけれど、
聖フランチェスコは確か4年だったと思う。
マザーも列福早かったよね。
やっぱりカトリックはイタリア(ローマ)で整った宗教、
どーでもよくなってるのか?(笑)
次はパーパ・ウォイティワだ♪
Posted by acqua at 2008年10月08日
★acquaお姉さま★

ハリネズミとコッチ↓(殉教者聖ペトルス方式)
http://quo-vadis.up.seesaa.net/image/camerino.jpg
しか選べなかったら、どっちを選ぶ?
私はハリネズミを選ぶ。

前パパ様はご生前から生き聖人みたいだったものね。
ものすごいスピードで列聖されそうな気がする。マザーも。

>どーでもよくなってるのか?(笑)

ラテンのなせる技(笑)
スペイン人の友達と遊ぶときは約束より30分遅れていくとちょうどよかったです。
Posted by Fu Shusei at 2008年10月08日
イル・ソドマの「聖セバスティアンの殉教」が表紙になったトレヴィ○の画集「San Sebastiano」(ヌオボ・クラッシコ・シリーズ)持っています(笑)
Fu さまが伊豆高原の天使堂に贈ってくださった「Bent Angelo U」と一緒に飾っています♪
「聖セバスティアンの殉教」はイル・ソドマのがお気に入りです(笑)
Posted by 追夢人(ついむと) at 2008年10月08日
トンスラは恥ずかしいので
私も一緒にハリネズミさせてください。

> スペイン人の友達と遊ぶときは...

Cさんに「15分遅れる」とメールしたら、
さらに15分マタサレマシタ。
遅れるときに電話しちゃダメなんだって言われた(爆)
困ったもんだよ いたりあ〜ん♪
Posted by acqua at 2008年10月09日
★追夢人さん★

>「San Sebastiano」

うがー、その本昔買いたかった本です。
いつか買おうと思っているうちにトレヴィ●が潰れて、本屋から消えました。
天使堂に伺った際には見せていただきますから(笑)

>「聖セバスティアンの殉教」はイル・ソドマのがお気に入りです(笑)

私が聖セバスティアンを知ったのもこの作品が最初です。
頂き物の聖人カードがこの絵だったのです。
(これ http://www.sanpaolo-shop.com/product/1187 
よって、カトリックの方は聖セバスティアンといえば自動的にこの絵を連想するのではないかと思います。)
Posted by Fu Shusei at 2008年10月09日
★acquaお姉さま★

>トンスラは恥ずかしいので

そういう理由ですかい(笑)

>困ったもんだよ いたりあ〜ん♪

時間の流れ方が違うんでしょうねぇ。
ああ、また例のイタリア人VS EUのアニメを思い出しちゃった(爆)
Cさんは、お仕事関係では遅刻したりはしないんですよね?(来月末のうちの教会でのミサ司式大丈夫か!?)
プライベート限定でイタリア時間が流れるのかな^^;
Posted by Fu Shusei at 2008年10月09日
> Cさんは、お仕事関係では遅刻したりはしないんですよね?

...たぶん


というのは物理的エラーがあるのでね。
大島教会の当番も、台風の中ダメ元で空港まで行くし、
40度の熱でも司式する。
A型気質とイタリアンと宣教師と50半ばのおやじの共存は辛かろう(笑)
Posted by acqua at 2008年10月10日
★acquaおねえさま★

「物理的エラー」という言葉に、PC好きの姉さんらしい表現だなぁと反応してしまいました(笑)

>A型気質とイタリアンと宣教師と50半ばのおやじの共存は辛かろう(笑)

ははは(^◇^)
そういうのちょっと分るなぁ。
私も、仕事の時のみ発揮されるA型気質(仕事以外では殆ど発揮されないし、回りにもA型だと思われない)が、たまに「基本的に適当」の私に嫌味をいうときがありますもん。
Posted by Fu Shusei at 2008年10月10日
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