2009年04月20日

わたしは壊れた器のように ―ブレイクとシュトゥックの磔刑図

わたしの敵は皆、私を嘲り 隣人も激しく嘲ります。
親しい人々はわたしを見て恐れを抱き 外で会えば避けて通ります。
人の心はわたしを死者のように葬り去り、壊れた器と見なします。
ひそかな声が周囲に聞こえ 脅かすものが取り囲んでいます。
人々がわたしに対して陰謀をめぐらし 命を奪おうとたくらんでいます。
―旧約聖書 詩篇31:12-14

本日は、一般的な磔刑図とは違うアングルで描かれた作品を2点ご紹介したいと思います。

★「キリストの衣服を得ようとさいころを振る兵士たち」 ウィリアム・ブレイク 1800年

「キリストの衣服を得ようとさいころを振る兵士たち」 ウィリアム・ブレイク 1800年
兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう。」と話し合った。それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。

―「ヨハネによる福音書」19:23-24
一般的な磔刑図の構図では正面中央がイエス・キリスト、右がイエスに信仰告白をした盗賊、左がイエスを罵った盗賊という描かれ方になる。
ブレイクはその構図を背面から描き、イエスの衣服のことでサイコロを振る兵士たちを中心に据えた。
それによってキリストの十字架上のあがないの重さと人類の罪が強調されている。
磔刑の凄まじい苦しみの背後で、兵士たちの頭の中をいっぱいにしているのは、自分の取り分となるイエスの衣服のことなのである。
なお、引用した「『彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた』という聖書の言葉が実現するためであった。」は、旧約聖書 詩篇 22:18-19「骨が数えられる程になったわたしの体を彼らはさらしものにして眺め わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く」というダビデ王の詩に依る。
このように新約聖書での事象が予め旧約聖書の中にあらわされているという考え方を予型説と呼ぶ。
冒頭に引用した詩篇31:12-14も、旧約聖書のダビデ王の詩も新約聖書のイエスの苦しみの予型といえるだろう。

さて、十字架の向こうには磔刑のキリストを見つめる人々の姿が描かれているが、これをまた別の視点から見てみよう。

★「磔刑」 フランツ・フォン・シュトゥック 1892年

「磔刑」 フランツ・フォン・シュトゥック 1892年
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

―「ヨハネによる福音書」19:25-27
通常、イエスや盗賊たちは十字架に高く架けられるのだが、シュトゥックの作品では彼らは群衆とほぼ同じ高さの十字架に架けられている。
十字架と群衆の距離も近く、十字架上の苦しみ、イエスの母マリアと弟子たちの痛みもダイレクトに伝わってくる。
色彩においては、赤と黒の対比も劇的な効果を与えている。
息子の苦悶に力なく倒れる・・・しかしわが子を父なる神のはからいに委ねる苦悩の聖母を支えるのは、マグダラのマリアと「イエスの最も愛した弟子」使徒(福音書記者)ヨハネだろう。
イエスは十字架上から、ヨハネに母マリアを託した。
そしてマリアはすべてのひとの母となるのである。

★★★

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イースター前にご紹介したかった作品というのはこれらのことでした。
遅くなりましたが〜^^;
posted by Fu Shusei | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸術的呟き
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