これまでの記事
★ヘロディアの娘 ―女と生首 I
★オルフェウスの物語 ―女と生首II プロローグ
★オルフェウスの物語 ―女と生首II
ユディトのストーリーは、以前「ユディトたち (ウィーンにてVIII)」で書いたとおりである。
ここに文章の一部を再録する。
ユディトは旧約聖書外典の「ユディト記」に登場する、信仰心の強い、勇敢な女性です。ここに、ファム・ファタルとしてのユディトを再びご紹介する。
〜中略〜
(宗教画においては)彼女は民族を救った英雄的な女性=ヒロインとして描かれていて、所謂 色仕掛けという作戦は取ったものの、男性の首を刎ねるという行為自体に性的な含みは与えられていません。
ところが時代が上がってくるにつれて、母の傀儡として洗礼者ヨハネの首を所望したサロメと同様、ユディトは元のヒロインとしての姿からは想像もつかない、男を破滅へと追い込む妖女(ファム・ファタル―運命の女―)としての性格を与えられて行くのです。
★「ユディトとホロフェルネス」 フランツ・フォン・シュトゥック 1926年

酒に酔い潰れた敵将ホロフェルネスの首を撥ねる直前のユディトである。
白い裸体がうっすらと暗闇から浮き上がっている。
淫蕩な期待に満ちた表情、顎から首、胸から腰、そして太ももに至るライン、柔らかな下腹の恥毛が淫靡な雰囲気を醸し出す。
澁澤龍彦氏がクラーナハのユディトを指して語った「快楽と死、サディズムとマゾヒズムが、この怖るべき美女の絵の隠された主題であり、ホロフェルネスの髯だらけの斬られた首は、斬られた男根の象徴なのである。」という言葉が思い浮かぶ。
まさに今、ユディトは男根の象徴としての首を斬り落そうとしているのである。
彼女の纏う空気は、血の赤、女の赤、快楽の赤で塗りつぶされている。
一方ホロフェルネスは青い布で覆われているが、この青は今 女によって流される血の色に染まろうとしているのだ。
★「ユディト II(サロメ)」 グスタフ・クリムト 1909年

ホロフェルネスの首を手にしたユディトは、まるで亡霊のよう。
その表情は悦楽と虚ろの狭間を彷徨っている。
★★★
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今日は大人バージョンの記事でした。
次回の「女と生首」は「イザベラ、あるいはバジルの鉢」の予定です。
いつ書くかは未定。


って!!!
そのあまりの非日常性に激しく戸惑います
が
実際、物理的即物的にに想像できないからこそ芸術になるのかもと・・思います
死というものが、わからないから、どこかしら甘美であるように。
そうねー、日常的に首は撥ねないですね(笑)
首を撥ねる、剣、といったものは象徴(あくまで小道具)で、テーマは男の人生を狂わすほどの魅力のある女ということです。
男性には、破滅願望とか、そういう悪魔的な女に振り回されたいという一種の自虐願望があるのかな・・・なんて思います。
だって、このテーマを描いてきた画家たち、男ですから!
幻想をいだいている間は甘美ですが、実際に運命を狂わされたら激しく後悔するんだろうな。
ファム・ファタルにちょっと憧れます。
私にもっと色気があって、ナイスバディだったらシノヤ●キシンさんに上の絵と同じ構図の写真を撮ってもらいたいと思っていたりする(笑)