2009年09月19日

受容の微笑み

★「受胎告知」 カルロ・ドルチ 1653-1655年頃?

「受胎告知」 カルロ・ドルチ 1653-1655年頃?

「おめでとう、恵まれたかた」
大天使ガブリエルの驚くべき言葉。
少女は恐れ、戸惑ったが、大きな覚悟を持って、天使の言葉を受け入れる。
大いなる存在に全幅の信頼を寄せて。

「受容する」ということを考えるとき
そして、このドルチの聖母マリアを見るとき
私は、私の知っている一人の女性のことを思い浮かべる。

★★★

台湾南部の小さな町のはずれ。
玉眞さんがぼうぼうに伸びた草を掻き分けると、小さな十字架が彫られた墓が現れた。
「オトサン、オカサン、チビ ト チビ ノ コドモ ガ カエッテキタヨー。
オトサン ト オカサン ニ アイニキタヨー。」
玉眞さんの言葉を聞いて、母(チビ)と私(チビの子供)は、涙をこらえることができなくなった。
お墓の中で眠っているのは、「郭さんのおじさん」と「郭さんのおばさん」。
玉眞さんは、郭夫妻の息子のお嫁さんだ。
「郭さんのおばさん」が寿命を迎えて天国に旅立ったあと、ほどなくして「郭さんのおじさん」も天に召された。

郭夫妻は、小さな中庭のある家に住んでいた。
その中庭は、私の祖母、私の母、そして私のお気に入りの場所だった。
大通りに面している美容院の店舗を通り抜けると、中庭がある。
そして中庭を横切ったところにある急な勾配の階段を登ると、そこが郭夫妻の部屋だった。
「郭さんのおじさん」は日本留学中に、一人の未亡人に恋をした。
そして、彼女を台湾に連れ帰って、結婚したと聞いている。
彼女が「郭さんのおばさん」だ。

「郭さんのおばさん」は、小さくて細かった。
言葉数はとても少なかった。
そしていつも静かな微笑みを浮かべていた。
彼女の微笑みは、微笑みと呼んでもいいのかどうか迷うほど微妙な「微笑みが消えてしまう寸前」の表情なのだった。
小さな町のご近所で、同じく台湾に嫁いだ日本人である私の祖母にとって、「郭さんのおばさん」は本物の姉のような存在だった。
私の母にとっても、彼女は第二の母で、私にとっては第二の祖母だった。

彼女が纏っていた安寧な空気と、あの不思議な微笑みを思い出す。
ときおり、母はおばさんのことを話す。
「優しい人だったね。人の悪口を言うのも一切聞いたことなかったし。
他人の私たちを家族のように受け入れてくれた。だから私はいつもあの中庭で遊んでいたの。」
そして母は、郭夫妻の愛娘「しーちゃん」のことを話すのだ。
「しーちゃんが海で亡くなるなんてねぇ・・・。」
しーちゃんは、小学校の先生をしていた夫と一緒に遠足に行った。
遠足で行った海で高波に呑まれて、そのまま帰ってこなかった。
しーちゃんが亡くなったとき、母は家族とともに既に日本に移り住んでいたから、おばさんの悲しみの大きさを直接目にしたことはない。
私も母も、台湾に帰った折、おばさんから直接しーちゃんの話を聞いたことはなかった。

海お墓参りの帰り、玉眞さんは青い海を指してこう呟いた。
「アソコ ナミ ガ アライ。コドモ モ オトナ モ イナクナッタ。」
その言葉にはしーちゃんの名前は含まれていなかったけれど、きっと しーちゃんもその中の一人なのだろう。

いま思うのは、おばさんのあの不思議な微笑みは、悲しみを受容した微笑みだということだ。
すぐに消えてしまいそうな、口に入れたらすぐに溶けてしまうオブラートのように儚い微笑み。
あの微笑みから私たちが感じていたのは、何故だかわからないが、平安と安寧だった。
大きな愛と悲しみを小さな体に湛えていたひと。
おばさんが亡くなったあと、おじさんは食べ物が喉を通らなくなって、そのまま亡くなったらしい。
あんな女性が傍にいたのだもの。
その喪失感は、とてもとても大きなものだったのだ。

「郭さんのおばさん」は、私が言葉を交わしたことのある人の中で、いちばん聖母マリアに似ている人だった。

★★★

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★★★

カルロ・ドルチの受胎告知は、上野のルーブル展に来ていました。
人ごみ恐怖症の私は、観に行けず・・・
やさしいブログ読者様が、そんな私に図録と絵葉書を買ってきてくださいました(涙)
この場を借りてもう一度、「ありがとうございます!」

写真はお墓参りの帰りに撮ったもの。

ところで、また ついったー始めました。
超おバカなつぶやきでよろしければ
http://twitter.com/shuseifu

posted by Fu Shusei | Comment(6) | TrackBack(0) | 芸術的呟き
この記事へのコメント
青を纏ったFu さまが印象的です♪
ドルチブルーより美しい青を初めてみました。
きっと一生目に焼きつく光景になると想います。
亡くなった兄と私の血の半分は台湾です。
未だ台湾の地を踏んだことがありません。
台湾の海はこんなに美しくせつなかったのですね。
今日からまた伊豆高原の天使堂にまいります。
車窓からの海もまた美しいですけれど、
来てくれないな〜と想いにふけりながら
見える方向は房総です(笑)
Posted by 追夢人(ついむと) at 2009年09月20日
こんなことを書くのはおこがましいというか
無知過ぎてお恥ずかしいんだけれど
私の中で謎だったことが
冒頭の二枚の絵と
目に飛び込んできた「受容」という言葉によって
すっと
解けました
無原罪のお宿りなんてナイナイ
とかいうセリフを
いろんなことを知る前に
世間からたくさん聞かされるものだから
判断力を失ってたね
わかったわ。私。
そういうことじゃないんだわ。
言葉にできないけど
ワカリマシタ(本当に)
Posted by メロ at 2009年09月20日
SEBASTIANが「acqua?」だって!

無原罪のおん宿り。
私は信者になって20年、勘違いをしてました。
マリアが原罪なくして宿った、
つまりアンナも神のご計画の中にあったこと。
ハズカシイデス

おととい、竹橋にゴーギャンを観に行ってきました。
前の会社で一緒だった友人に誘われて。
版画がとってもよかった。

売店はゴーギャンのオリジナルグッズとタヒチの民芸品、
までは許せたがなぜかfula HAWAIIの文字。
これはいかんぞ(--;
Posted by acqua at 2009年09月22日
★追夢人さん★

あんなに青い空と青い海は、他の「海の美しさで有名な場所」でも見たことがありませんでした。
私も何故か青い服でした。
青という色ほど人の感性に訴える色は他にないような気がするのですが、いかがでしょうか。
高い空の色でもあり、深い海の色でもある。
そして地球自体、青い星でしたね。
優しくも悲しくもある、いろいろな表情を持った色のような気がするのです。

台湾の件は本当にびっくりしました。
やはりご縁があったのだなぁ!としみじみ思います…。
いやー、世界って不思議です。
Posted by Fu Shusei at 2009年09月22日
★メロちゃん★

世界は頭で理解できることだけで構成されているのではない、、、と、この数年つくづく思う。
人間の小さい頭(論理)で理解できなくても 、魂のレベルでは感じ取ることができることもある。
メロちゃんはきっと、この絵と「受容」という言葉をヒントに魂で感じたのね。

生きてるとHappyなこと以外にも、いろんなことが起こりますね。
苦しいことや悲しいことや腹が立つこと、イヤだと思っても大きな責任を負うことになったり。
生きていくって、それをいかに受容していくか?ということの繰り返しのような気がしてきた・・・今日この頃。
聖母マリアは、人が人生で起こりうることをどのように受容していくかという、ひとつの手本みたいなものをその生きざまと態度で見せた方だったように思います。
彼女がこんなにも世界中の人々から愛され、崇敬される理由のひとつは、それなんじゃないかなあと考えています。
Posted by Fu Shusei at 2009年09月22日
★acqua姉さん★

姉さんとこのeccoちゃんも、私に「Fuが来た!」って挨拶してくれますよ〜
ブログペットやっているひと同士だと、挨拶してくれるのかな?

そうそう、「無原罪の御宿り」は聖母自身の誕生のことなのだけど、聖霊によるイエスの受胎(処女受胎)と誤解されやすいらしくて、有名なムリーリョの「無原罪の御宿り」について解説してある本なんかには大抵「処女受胎したことじゃないよ。マリア自身が無原罪の御宿りなんだよ」って、注意書きのように解説してありますね。

ゴーギャンの色彩は、姉さんにどんな影響を与えましたか。
パワーをもらえましたか。
fula HAWAII… シャネルのバッタモンのChannelとかFendiもどきのEndiより許せんぞ(笑)
Posted by Fu Shusei at 2009年09月22日
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